昨年11月から続いていた脚本家組合のストで、開催が危ぶまれていたアカデミー賞の発表が行なわれた。脚本家たちが求めていたのは、ネット配信に際して脚本家に支払われる、報酬の引き揚げだ。
今から20年前、ビデオが普及しはじめた時、その後の展開が予想できなかった脚本家たちは、ごく低額の報酬で合意してしまった。その二の舞にならないよう、今回は強硬に主張したのである。俳優組合も同調して、ストは長引いた。お陰でゴールデングローブ賞の授賞式は、発表だけの地味なものになった。
しかし、ストが必ずしも悪いわけではない。日本の場合、スト自体が違法扱いで、もはや死語に近くなっている。そもそも団結自体が不可能だ。これでは泣き寝入りするしかない。日本の脚本家たちはこの状況を、どう考えているのだろうか。
さてアカデミー賞だが、前評判の高かったコーエン兄弟の「ノーカントリー」が監督賞、作品賞など四冠を達成した。1991年、「バートン・フィンク」でカンヌ映画祭三冠達成以来、十七年。大家の仲間入りである。殺人者を演じたスペインの俳優、ハビエル・バルデムが助演男優賞を獲得した。とても面白そうな作品なのだが、暴力場面が恐くて正視できるかどうか。
主演女優賞は「エディット・ピアフ 愛の讃歌」のマリオン・コティヤール。フランス人の受賞は、シモーヌ・シニョレに次いで二人目だ。主演男優賞は「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」のダニエル・デイ=ルイス。ゴールド・ラッシュで財を成し、人間性を崩壊させていく男を演じている。それにしても、もっと気の利いた邦題にできないものか。
助演女優賞は、イギリス出身のティルダ・スウィントン。ジョージ・クルーニーと共演した企業サスペンス「フィクサー」での熱演が認められた。「ナルニア国物語」では氷の魔女役だった。独特のクールな風貌で、不思議な魅力を放つ女優だ。この映画、楽しみ。
個人的に注目していた外国語映画賞は、オーストリア映画「ヒットラーの偽札」に。第二次大戦下のドイツで、ユダヤ人の技術に目をつけたナチスが指示した、史上最大の紙幣贋造を映画化したもの。公開中。
外国語映画賞ノミネート作品は他にも、イスラエル映画「ボーフォート レバノンからの撤退」(公開中)、アンジェイ・ワイダがソ連によるカチンの森虐殺事件を描いた「カチン」、我が浅野忠信主演の「モンゴル」(4月5日公開予定)、継父殺しで告訴されたチェンチェン人少年の裁判を描くロシア映画「12」など、興味深いラインナップだ。
だが、「カチン」も「12」も公開未定なのが寂しい。なお受賞は逃したが、長編アニメーション賞にノミネートされていた、フランスの「ペルセポリス」が秀逸だ。ホメイニ革命を経験した少女が、ヨーロッパに渡って文化の壁にぶつかり、再びイランに戻ってアイデンティティを探し求める物語。こんな政治的なテーマをユニークなアニメにしてしまうフランス人は、やはりすごい。
http://persepolis-movie.jp/
2008年02月26日
2008年01月23日
浅野忠信主演映画「モンゴル」、アカデミー外国語映画賞にノミネート
浅野忠信主演映画「モンゴル」が、アカデミー外国語映画賞にノミネートされた。チンギスハーンの半生を描く物語。製作発表があった時から、大いに期待していた映画だ。
日本有数の花美男、浅野忠信が主演しているということもあるが、もう一点。モンゴル、カザフスタン、ロシア、それにドイツの合作映画という点に、私は興味津々なのだ。そして今まで、日本での配給元も公開も決まっていないことに失望している。
アカデミー外国語映画賞の候補になったのだから、間もなく公開が決まるだろう。しかし、アジア人がテーマの合作映画に対する映画界の無関心というか、そろばん勘定には失望させられる。宣伝次第ではいけそうな映画なのに。
モンゴルと言えば、今や国技大相撲を支える存在だ。日本人は半数がモンゴロイドで、新生児の多くはお尻にモンゴル斑を持つ。まぁそういう事はどうでもいいだが、いずれにせよなじみの間柄である。それなのに視線が冷たい。角川春樹制作のとんちんかんな「蒼き狼」は、大々的に公開されたのに。
日本有数の花美男、浅野忠信が主演しているということもあるが、もう一点。モンゴル、カザフスタン、ロシア、それにドイツの合作映画という点に、私は興味津々なのだ。そして今まで、日本での配給元も公開も決まっていないことに失望している。
アカデミー外国語映画賞の候補になったのだから、間もなく公開が決まるだろう。しかし、アジア人がテーマの合作映画に対する映画界の無関心というか、そろばん勘定には失望させられる。宣伝次第ではいけそうな映画なのに。
モンゴルと言えば、今や国技大相撲を支える存在だ。日本人は半数がモンゴロイドで、新生児の多くはお尻にモンゴル斑を持つ。まぁそういう事はどうでもいいだが、いずれにせよなじみの間柄である。それなのに視線が冷たい。角川春樹制作のとんちんかんな「蒼き狼」は、大々的に公開されたのに。
2007年11月30日
「椿三十郎」のリメークで・・・世も末
黒澤明の「椿三十郎」がリメークされた。もうすぐ公開される。それが何と、角川春樹・製作総指揮、織田裕二主演、森田芳光監督という組み合わせなのだ。もう唖然呆然である。
別に、「聖なる椿三十郎をリメークしてはいけない」などと言っているのではない。ただ、こういう中途半端というか、訳のわからないことをしてもらいたくないのである。いくら原作不足とは言っても、他にテーマがないわけじゃなし。何も「椿三十郎」を『この布陣で』リメークしなくてもいいだろう。うまくいったら、次々にリメークしようという魂胆が見え見えである。
角川春樹は日本映画に、安手のビジネスモデルをつくった張本人である。映画産業の凋落期だったためにもてはやされ、大したことないものを、メディアミックスの大宣伝でヒットさせるという手法を定着させた。麻薬取締法違反で服役していたが2004年に仮出所。また映画制作を始めた。
嫌な予感がしていたが案の定、「男たちの大和/YAMATO」というどうしようもない映画を、自己陶酔的ナショナリズムという時流に乗せてヒットさせ、復活した。次にモンゴルの全面協力を得て、チンギス・ハーンを信長風に描いた意味不明の映画「蒼き狼」を制作した。そして今度は織田裕二主演の「椿三十郎」だ。この人の手にかかると、全てが安手になるのである。
ある人がブログで、「初めて『椿三十郎』を観た若者が、『あ、けっこう面白いじゃん』と思うことを何より恐れる」と書いていたが、同感だ。安手のもので満足してしまうのが怖いのだ。別にB級映画が悪いと言っているのではない。B級映画やC級映画がいくらあっても構わないのである。
ただ名作にはそれなりの風格があって、それが文化の一端を担っている。それをわざわざ、無駄にお金をかけて崩さないで欲しいのだ。資金不足で困っている時に、無駄遣いもいいところである。映画を事業の柱にしようとしているAVEXも出資しているらしいが、見る目がないところに限ってお金を持っているから困る。
まぁ、こんなに憤慨しなくてもヒットしないと思うが、製作員会にテレビ局が入っているから宣伝がすごい。テレビ局にとっては億単位の広告収入。で、結局は露出の頻度で集客が決まる、数字が全ての世の中である。映画はテレビ化する一方だ。製作委員会への参加は、今やネットに押されつつあるテレビの生き残り戦術でもある。でもこれじゃ、映画とテレビは共倒れだ。
別に、「聖なる椿三十郎をリメークしてはいけない」などと言っているのではない。ただ、こういう中途半端というか、訳のわからないことをしてもらいたくないのである。いくら原作不足とは言っても、他にテーマがないわけじゃなし。何も「椿三十郎」を『この布陣で』リメークしなくてもいいだろう。うまくいったら、次々にリメークしようという魂胆が見え見えである。
角川春樹は日本映画に、安手のビジネスモデルをつくった張本人である。映画産業の凋落期だったためにもてはやされ、大したことないものを、メディアミックスの大宣伝でヒットさせるという手法を定着させた。麻薬取締法違反で服役していたが2004年に仮出所。また映画制作を始めた。
嫌な予感がしていたが案の定、「男たちの大和/YAMATO」というどうしようもない映画を、自己陶酔的ナショナリズムという時流に乗せてヒットさせ、復活した。次にモンゴルの全面協力を得て、チンギス・ハーンを信長風に描いた意味不明の映画「蒼き狼」を制作した。そして今度は織田裕二主演の「椿三十郎」だ。この人の手にかかると、全てが安手になるのである。
ある人がブログで、「初めて『椿三十郎』を観た若者が、『あ、けっこう面白いじゃん』と思うことを何より恐れる」と書いていたが、同感だ。安手のもので満足してしまうのが怖いのだ。別にB級映画が悪いと言っているのではない。B級映画やC級映画がいくらあっても構わないのである。
ただ名作にはそれなりの風格があって、それが文化の一端を担っている。それをわざわざ、無駄にお金をかけて崩さないで欲しいのだ。資金不足で困っている時に、無駄遣いもいいところである。映画を事業の柱にしようとしているAVEXも出資しているらしいが、見る目がないところに限ってお金を持っているから困る。
まぁ、こんなに憤慨しなくてもヒットしないと思うが、製作員会にテレビ局が入っているから宣伝がすごい。テレビ局にとっては億単位の広告収入。で、結局は露出の頻度で集客が決まる、数字が全ての世の中である。映画はテレビ化する一方だ。製作委員会への参加は、今やネットに押されつつあるテレビの生き残り戦術でもある。でもこれじゃ、映画とテレビは共倒れだ。
2007年05月17日
韓米自由貿易協定と韓国映画
韓国がアメリカと自由貿易協定を結んだ。関税その他の通商制限をはずし、韓米間で物品やサービスが、何の障害もなく流通できるようにするためだ。理論上は素晴らしいのだが、実際には数々の問題が生まれる。任期が残り少なくなった盧 武鉉(ノ・ムヒョン)政権の、捨て身の賭けである。
この「物品やサービス」の中には映画も含まれる。これまで韓国では、スクリーン・クォーター制度によって国産映画が保護されてきた。スクリーンの四分の一、年間146日以上を韓国映画のために確保するというシステムだ。1987年の民主化宣言、93年以後の文民政権のもとで韓国映画が躍進した理由の一つに、この保護政策があった。
しかし、今回それが半減されたのである。その影響はさっそく出てきたようだ。韓国映画が、観客動員数の上位に並ばなくなってきたのである。トップ3にはハリウッドの大作が並んでいる。観客が選んだ結果だと言ってしまえばそれまでだが、私の心中は複雑である。
誰にでもわかる高い娯楽性、スケールの大きさ、お金のかけ方。ハリウッドの力は飛び抜けている。グローバル経済の拡大と共に、その力は増すばかりだ。国際競争力がまだ弱い韓国映画には辛い試練になるだろう。日本は昨年、日本映画の興行収入が洋画のそれを上回ったが、ここまで来るには大変だった。今は日韓共に「スパイダーマン3」が一位だ。よくできた娯楽作品だが、そこまでの映画だとは思えない。
むろん、自由貿易は長い目で見れば市場の活性化につながると思う。韓国映画界に外資が流入してくることも有り得る。しかし、東欧の映画界は市場経済化から十数年、いまだに立ち直れない。人々がハリウッド映画に飽きるまで押され続けるのだろう。
韓国映画も、現代史見直しものを中心に佳作を放ち続けた時期が終わって、次の段階に移行しつつある。スターに頼った安易なつくりも目立ってきたから、ここで体制を整える必要がある。そういう契機にはなると思う。韓国ならではの映画をつくっていけば、観客はついてくるだろう。
韓国映画躍進の力は何と言っても、民主化世代の頑張りだった。昨年公開された「グエムル」「トンマッコルへようこそ」「王の男」には、そんな韓国映画のパワーと心意気がみなぎっていた。韓国映画の魅力はやはり、社会と向き合う姿勢にある。それは日本映画が失って久しいものだ。これからの、韓国映画の健闘を祈りたい。
この「物品やサービス」の中には映画も含まれる。これまで韓国では、スクリーン・クォーター制度によって国産映画が保護されてきた。スクリーンの四分の一、年間146日以上を韓国映画のために確保するというシステムだ。1987年の民主化宣言、93年以後の文民政権のもとで韓国映画が躍進した理由の一つに、この保護政策があった。
しかし、今回それが半減されたのである。その影響はさっそく出てきたようだ。韓国映画が、観客動員数の上位に並ばなくなってきたのである。トップ3にはハリウッドの大作が並んでいる。観客が選んだ結果だと言ってしまえばそれまでだが、私の心中は複雑である。
誰にでもわかる高い娯楽性、スケールの大きさ、お金のかけ方。ハリウッドの力は飛び抜けている。グローバル経済の拡大と共に、その力は増すばかりだ。国際競争力がまだ弱い韓国映画には辛い試練になるだろう。日本は昨年、日本映画の興行収入が洋画のそれを上回ったが、ここまで来るには大変だった。今は日韓共に「スパイダーマン3」が一位だ。よくできた娯楽作品だが、そこまでの映画だとは思えない。
むろん、自由貿易は長い目で見れば市場の活性化につながると思う。韓国映画界に外資が流入してくることも有り得る。しかし、東欧の映画界は市場経済化から十数年、いまだに立ち直れない。人々がハリウッド映画に飽きるまで押され続けるのだろう。
韓国映画も、現代史見直しものを中心に佳作を放ち続けた時期が終わって、次の段階に移行しつつある。スターに頼った安易なつくりも目立ってきたから、ここで体制を整える必要がある。そういう契機にはなると思う。韓国ならではの映画をつくっていけば、観客はついてくるだろう。
韓国映画躍進の力は何と言っても、民主化世代の頑張りだった。昨年公開された「グエムル」「トンマッコルへようこそ」「王の男」には、そんな韓国映画のパワーと心意気がみなぎっていた。韓国映画の魅力はやはり、社会と向き合う姿勢にある。それは日本映画が失って久しいものだ。これからの、韓国映画の健闘を祈りたい。
2007年05月10日
シネコンの思想〜システム依存社会
ここ数年、日本列島を席巻している感があるシネマコンプレックス(複合映画館)、通称シネコン。全国に広がり、減る一方だったスクリーン数を久し振りに押し上げた。ただ、主に郊外のショッピンセンター内に設置されていることもあり、私は行ったことがなかった。
初めてシネコンで映画を観たのは、六本木ヒルズ内のTOHOシネマズ六本木ヒルズ。長くて言いにくくて、覚えにくい名前だ。ズが語尾に二度つくところなど、英語の授業を思い出す。
あらかじめ混雑状況もわかるしネットで予約もできるが、飛び込みができない。場内に入ってスクリーンの大きさを確認し、人が座っている様子を見て座席を決めるということもできない。一長一短だと思った。
先日、新宿に初めて出来たシネコン、バルト9に行った。チケット売り場に着いたのは上映開始15分前。平日の昼間だったが、学生達が行列をつくっていた。見ると受付四ヶ所のうち、二ヶ所しか稼働していない。時間はどんどん経つ。結局、上映時間を5分過ぎてやっとチケットを購入。ポップコーンを買ったりして、座席についたのは予告篇も終わりかけた頃だった。
場内はがらがらで、改めて腹が立ってきた。上映開始15分前に到着すれば、余裕で観られたはずである。複数の映画館の座席を一ヶ所で決めるため、時間はかかるは効率は悪いは。それにしても、どうして二ヶ所しか稼働していないのか。人件費の削減か、バイトが見つからないのか。週末に家族で行く郊外ではともかく、都心では不便極まりないシステムである。
それなのに、一度シネコンが時流ということになると、どこもかしこもシネコン。最近はシネコンにならって、普通の映画館でも入口で座席を決めるところが出てきた。入ってみれば観客はパラパラだったりして、どういう意味があるのか理解に苦しむ。そもそもアメリカの郊外で始まったシステムを、どうしてそのまま日本に移植するのか。
何よりも万事システムで動いて、個人の裁量がきかないのが最大の難点だ。考えてみると、こういう場面が増えているのである。スターバックスコーヒーも、ある意味でそうだ。スタバが出来た当初、中高年はなかなか入らなかった。システムに馴染めなかったからだ。コーヒー一杯飲むのにもシステムを理解しなければならないことに、「融通の効く」社会で育った中高年は戸惑ったのである。
気がついてみれば、世の中すっかりシステム依存社会になっている。理由は、混乱とリスクの回避。ハプニングを恐れる日本人の気質に合致したらしく、個人の裁量範囲は狭まる一方だ。
万事システムで動くから、個性も考える人間も必要ない。本当は功罪を踏まえた上で、人間がシステムを使いこなしていかなくてはならないのだが、そんな力量のある人間は滅多にいないし、そういう人間を育てる教育にはなってはいない。そういう問題意識さえ共有されていないのである。
かくして、私たちはシステムに振り増されながらも徐々に適応し、社会で生きていくということはシステムに適応することと同義になる。70年前にチャップリンが「モダンタイムス」で描いた状況が洗練されると、こういうことになるわけだ。
初めてシネコンで映画を観たのは、六本木ヒルズ内のTOHOシネマズ六本木ヒルズ。長くて言いにくくて、覚えにくい名前だ。ズが語尾に二度つくところなど、英語の授業を思い出す。
あらかじめ混雑状況もわかるしネットで予約もできるが、飛び込みができない。場内に入ってスクリーンの大きさを確認し、人が座っている様子を見て座席を決めるということもできない。一長一短だと思った。
先日、新宿に初めて出来たシネコン、バルト9に行った。チケット売り場に着いたのは上映開始15分前。平日の昼間だったが、学生達が行列をつくっていた。見ると受付四ヶ所のうち、二ヶ所しか稼働していない。時間はどんどん経つ。結局、上映時間を5分過ぎてやっとチケットを購入。ポップコーンを買ったりして、座席についたのは予告篇も終わりかけた頃だった。
場内はがらがらで、改めて腹が立ってきた。上映開始15分前に到着すれば、余裕で観られたはずである。複数の映画館の座席を一ヶ所で決めるため、時間はかかるは効率は悪いは。それにしても、どうして二ヶ所しか稼働していないのか。人件費の削減か、バイトが見つからないのか。週末に家族で行く郊外ではともかく、都心では不便極まりないシステムである。
それなのに、一度シネコンが時流ということになると、どこもかしこもシネコン。最近はシネコンにならって、普通の映画館でも入口で座席を決めるところが出てきた。入ってみれば観客はパラパラだったりして、どういう意味があるのか理解に苦しむ。そもそもアメリカの郊外で始まったシステムを、どうしてそのまま日本に移植するのか。
何よりも万事システムで動いて、個人の裁量がきかないのが最大の難点だ。考えてみると、こういう場面が増えているのである。スターバックスコーヒーも、ある意味でそうだ。スタバが出来た当初、中高年はなかなか入らなかった。システムに馴染めなかったからだ。コーヒー一杯飲むのにもシステムを理解しなければならないことに、「融通の効く」社会で育った中高年は戸惑ったのである。
気がついてみれば、世の中すっかりシステム依存社会になっている。理由は、混乱とリスクの回避。ハプニングを恐れる日本人の気質に合致したらしく、個人の裁量範囲は狭まる一方だ。
万事システムで動くから、個性も考える人間も必要ない。本当は功罪を踏まえた上で、人間がシステムを使いこなしていかなくてはならないのだが、そんな力量のある人間は滅多にいないし、そういう人間を育てる教育にはなってはいない。そういう問題意識さえ共有されていないのである。
かくして、私たちはシステムに振り増されながらも徐々に適応し、社会で生きていくということはシステムに適応することと同義になる。70年前にチャップリンが「モダンタイムス」で描いた状況が洗練されると、こういうことになるわけだ。
2007年03月01日
アカデミー外国語映画賞「善き人のためのソナタ」 20世紀が残した課題
アカデミー賞報道では、いつも外国語映画賞の影が薄い。最も国際的な部門なのに残念だ。ちなみに日本代表は「フラガール」、韓国代表は「王の男」だった。実は今から半生記前、1954年に日本映画「宮本武蔵」(三船敏郎主演)が受賞したのだが、当時は違う名称だった。以後、アジア映画が受賞したことはないように思う。あったかもしれないが知らない。
1982年に「泥の河」が日本代表になった時は、ニューヨークでヒットしたこともあって期待したのだが、やはりダメだった。確かその前年あたりに「モスクワは涙を信じない」という旧ソ連の映画が受賞したが、これがとても面白い映画だったのである。旧ソ連映画を娯楽作品として面白いと思ったのは、これが初めてだった。
というわけで、思い入れの強い外国語映画賞。来年は是非、アジア映画に栄冠を! 昨年秋のベネチア映画祭と先月のベルリン映画祭では、共に中国映画が最高賞を取っている。アカデミー賞はアジア映画への評価が低いように思う。作品賞の「ディパーテッド」を、日本映画のリメークだと紹介したし。
で、受賞したのはドイツ代表「善き人のためのソナタ」。原題はDas Leben Der Anderen。最近は、わかりにくい原題のままで公開されることが多いが、これはドイツ語なのでこういう邦題になったのだろう。言語も多様な方が楽しい。どこもかしこも英語ばかりではつまらない。
物語は1984年から始まる。ベルリンの壁消滅の5年前。旧東独のシュタージ、つまり秘密警察であり諜報機関である国家保安省は、ある劇作家の監視を始める。壁消滅後に、私たちはその驚くべき監視体制を知った。多くの国民を情報提供者にして、相互監視システムをつくりあげていたのである。
体制が崩壊した後、旧東独の人々は自分についてのファイルを見て、信じていた友人や親戚が情報を提供していたことを知った。社会には深刻な亀裂が走り、精神を病む人も現れた。それは何ともやりきれない、痛ましい光景だった。あの体制の下で、シュタージの要求をはねのけることのできる人間が、果たして何人いただろうか。
日本がバブル崩壊に揺れていた頃、壁の消滅したドイツで何が起きていたか。この映画を観て疑似体験してみよう。私たちは同時代の出来事を、必ずしも知らないのである。だから次の世代に語ることができない。昭和ですら、癒しと郷愁の対象になりつつある。20世紀はどうしてこういうシステムを生み出してしまったのか。この問題を問い続けることは、次世代への責任である。(川西玲子)
1982年に「泥の河」が日本代表になった時は、ニューヨークでヒットしたこともあって期待したのだが、やはりダメだった。確かその前年あたりに「モスクワは涙を信じない」という旧ソ連の映画が受賞したが、これがとても面白い映画だったのである。旧ソ連映画を娯楽作品として面白いと思ったのは、これが初めてだった。
というわけで、思い入れの強い外国語映画賞。来年は是非、アジア映画に栄冠を! 昨年秋のベネチア映画祭と先月のベルリン映画祭では、共に中国映画が最高賞を取っている。アカデミー賞はアジア映画への評価が低いように思う。作品賞の「ディパーテッド」を、日本映画のリメークだと紹介したし。
で、受賞したのはドイツ代表「善き人のためのソナタ」。原題はDas Leben Der Anderen。最近は、わかりにくい原題のままで公開されることが多いが、これはドイツ語なのでこういう邦題になったのだろう。言語も多様な方が楽しい。どこもかしこも英語ばかりではつまらない。
物語は1984年から始まる。ベルリンの壁消滅の5年前。旧東独のシュタージ、つまり秘密警察であり諜報機関である国家保安省は、ある劇作家の監視を始める。壁消滅後に、私たちはその驚くべき監視体制を知った。多くの国民を情報提供者にして、相互監視システムをつくりあげていたのである。
体制が崩壊した後、旧東独の人々は自分についてのファイルを見て、信じていた友人や親戚が情報を提供していたことを知った。社会には深刻な亀裂が走り、精神を病む人も現れた。それは何ともやりきれない、痛ましい光景だった。あの体制の下で、シュタージの要求をはねのけることのできる人間が、果たして何人いただろうか。
日本がバブル崩壊に揺れていた頃、壁の消滅したドイツで何が起きていたか。この映画を観て疑似体験してみよう。私たちは同時代の出来事を、必ずしも知らないのである。だから次の世代に語ることができない。昭和ですら、癒しと郷愁の対象になりつつある。20世紀はどうしてこういうシステムを生み出してしまったのか。この問題を問い続けることは、次世代への責任である。(川西玲子)
2007年02月27日
アカデミー賞発表! 「ディパーテッド」と菊池凛子と植民地近代化
今年もアカデミー賞が発表された。内輪のお祭りで、こんなに騒ぐのはどうかと思いつつも、やはり気になるし。しかし、マーチン・スコセッシ監督「ディパーテッド」の作品賞受賞に、改めて内輪のお祭りだという事を実感させられた。
六回目のノミネートで、「そろそろスコセッシにオスカーを」という配慮があったのだろうが、最近は経験で器用につくっているという印象で、あまり独創性が感じられない。「ギャング・オブ・ニューヨーク」や「アビエイター」は、意図が不明確だった。「タクシー・ドライバー」でオスカーを授与しておくべきだったのではないか。
ところで、この「ディパーテッド」は香港の大ヒット作「インターナル・アフェア」のリメーク。実は、スコセッシはあまり乗り気ではなかったが、事情があって引き受けたとか。作品賞がアジア映画のリメークだということに時代を感じる。リメークが発表された時、あの独特の暗さが消えてギャング映画になるのではないかと危惧したが、その通りになった。
とまぁ、文句ばかり言っているようだが、別に無能だと言っているわけではない。牧師をめざして挫折したという経験が原点。キーワードは音楽・神・イタリア系だ。
「ウッドストック」の記録編集で頭角を現し、「最後の誘惑」のような映画もつくり、ロバート・デニーロを世に出し、最近はディカプリオと組んでいる。遠藤周作の小説「沈黙」の映画化に執念を燃やしている。オスカーの獲得で、実現の可能性が出てきた。
ところで今回、日本で一番話題になったのは、菊池凛子の助演女優賞ノミネート。それにしても、注目されてからの変わりようには驚いた。何よりも、あの金髪。どうしてアメリカで金髪? 授賞式での気合いの入り過ぎたポーズもちょっと。
敢えてこういう表現をするが、二流のキャバレーのホステスのようだ。明治4年にちょんまげ姿のままアメリカに上陸した、岩倉使節団の陰画を見ているような気がした。日本人はいまだに、こういう時に自然体でいられないのだろうか。注目を集める作戦なのかもしれないが、キャリアにふさわしい態度というものがある。何より、白人の価値観に絡めとられて身体言語が混乱していないか。
中国の人気女優チャン・ツイィーのドレスもひどかった。韓国も含め、東アジアの女優は総じて、身体的アイデンティティーを見失ったかのようにトンチンカンな格好をしている。白人とセクシーさを競っても貧相に見えるだけなのだから、もっと頭を使うべきだ。これではどこまでいっても植民地近代化である。
それと、あまり話題になっていないが、ヘレン・ミレンの主演女優賞受賞は嬉しかった。彼女は61歳。黒木瞳が演技力ではなく、40代半ばなのにきれいだということで評価されている日本では、こういう女優さんはまだ出ないだろう。(川西玲子)
六回目のノミネートで、「そろそろスコセッシにオスカーを」という配慮があったのだろうが、最近は経験で器用につくっているという印象で、あまり独創性が感じられない。「ギャング・オブ・ニューヨーク」や「アビエイター」は、意図が不明確だった。「タクシー・ドライバー」でオスカーを授与しておくべきだったのではないか。
ところで、この「ディパーテッド」は香港の大ヒット作「インターナル・アフェア」のリメーク。実は、スコセッシはあまり乗り気ではなかったが、事情があって引き受けたとか。作品賞がアジア映画のリメークだということに時代を感じる。リメークが発表された時、あの独特の暗さが消えてギャング映画になるのではないかと危惧したが、その通りになった。
とまぁ、文句ばかり言っているようだが、別に無能だと言っているわけではない。牧師をめざして挫折したという経験が原点。キーワードは音楽・神・イタリア系だ。
「ウッドストック」の記録編集で頭角を現し、「最後の誘惑」のような映画もつくり、ロバート・デニーロを世に出し、最近はディカプリオと組んでいる。遠藤周作の小説「沈黙」の映画化に執念を燃やしている。オスカーの獲得で、実現の可能性が出てきた。
ところで今回、日本で一番話題になったのは、菊池凛子の助演女優賞ノミネート。それにしても、注目されてからの変わりようには驚いた。何よりも、あの金髪。どうしてアメリカで金髪? 授賞式での気合いの入り過ぎたポーズもちょっと。
敢えてこういう表現をするが、二流のキャバレーのホステスのようだ。明治4年にちょんまげ姿のままアメリカに上陸した、岩倉使節団の陰画を見ているような気がした。日本人はいまだに、こういう時に自然体でいられないのだろうか。注目を集める作戦なのかもしれないが、キャリアにふさわしい態度というものがある。何より、白人の価値観に絡めとられて身体言語が混乱していないか。
中国の人気女優チャン・ツイィーのドレスもひどかった。韓国も含め、東アジアの女優は総じて、身体的アイデンティティーを見失ったかのようにトンチンカンな格好をしている。白人とセクシーさを競っても貧相に見えるだけなのだから、もっと頭を使うべきだ。これではどこまでいっても植民地近代化である。
それと、あまり話題になっていないが、ヘレン・ミレンの主演女優賞受賞は嬉しかった。彼女は61歳。黒木瞳が演技力ではなく、40代半ばなのにきれいだということで評価されている日本では、こういう女優さんはまだ出ないだろう。(川西玲子)
2007年02月17日
日本映画好調の裏にある「わかりやすさ」という罠
日本映画が好調だそうだ。昨年初めて、邦画の興行収入が洋画のそれを上回ったことが話題になっている。ちなみに第一位は「ゲド戦記」。批判も多かったが、結局はジブリのブランド力がものを言った形。ポスト宮崎駿への移行に心を砕いている鈴木プロデューサーも、ほっとしたことだろう。
まぁこれはいいとして、以下「LIMIT OF LOVE 海猿」、「THE 有頂天ホテル」、「ALWAYS 三丁目の夕日」、「男たちの大和/YAMATO」と続く。大ヒットしたということは、ふだんあまり映画館に行かない人を惹きつけたということだから、こういうラインナップになるわけだ。単館ミニシアター系では、シネカノン製作の「フラガール」が健闘した。
日本映画好調の背景については、もう報道しつくされている。例えばこういうふうに↓
http://www.asahi.com/culture/movie/TKY200701310197.html
だから以下は私の主観だが、日本人は洋画をあまり観なくなったのではないか。今後ハリウッド映画が復権しても、あまり変化はないだろう。良く言えば、戦後60年にしてやっと欧米志向が薄れてきたわけだが、逆に言えば異文化に対して関心を失っているのである。
日本人は今、日常と地続きのわかりやすい映画しか観なくなっている。ヨーロッパ映画を観る若者は本当に少ない。良くも悪くも背伸をびしないのだ。私はこの現状に違和感がある。
日本映画の快走は、社会の低迷と裏腹の関係にあるのではないか。なんか、皆で温泉に浸かって和んでいるような気がするのだ。目を日本列島の外に向けたスケールの大きな映画も期待したいところだが、せっかくモンゴルまで行って撮影した「蒼き狼」が、戦国の武将もののようになっていて落胆している。by川西玲子
まぁこれはいいとして、以下「LIMIT OF LOVE 海猿」、「THE 有頂天ホテル」、「ALWAYS 三丁目の夕日」、「男たちの大和/YAMATO」と続く。大ヒットしたということは、ふだんあまり映画館に行かない人を惹きつけたということだから、こういうラインナップになるわけだ。単館ミニシアター系では、シネカノン製作の「フラガール」が健闘した。
日本映画好調の背景については、もう報道しつくされている。例えばこういうふうに↓
http://www.asahi.com/culture/movie/TKY200701310197.html
だから以下は私の主観だが、日本人は洋画をあまり観なくなったのではないか。今後ハリウッド映画が復権しても、あまり変化はないだろう。良く言えば、戦後60年にしてやっと欧米志向が薄れてきたわけだが、逆に言えば異文化に対して関心を失っているのである。
日本人は今、日常と地続きのわかりやすい映画しか観なくなっている。ヨーロッパ映画を観る若者は本当に少ない。良くも悪くも背伸をびしないのだ。私はこの現状に違和感がある。
日本映画の快走は、社会の低迷と裏腹の関係にあるのではないか。なんか、皆で温泉に浸かって和んでいるような気がするのだ。目を日本列島の外に向けたスケールの大きな映画も期待したいところだが、せっかくモンゴルまで行って撮影した「蒼き狼」が、戦国の武将もののようになっていて落胆している。by川西玲子

