☆ 視野が広がる 感動する
観る人間次第で様々な解釈が成り立つ、残酷だが美しく、胸を打たれる物語である。打ちのめされる映画でもある。歴史感覚に裏打ちされた独自のファンタジー哲学が、一見平和で豊かな日常を生きる私たちを極限まで追い詰める。天国に行ってしまった恋人が会いに来てくれた、優しい自然の中で癒される・・・という映画を見慣れている日本人に、果たしてこの映画を観る精神力はあるだろうか。
この映画は1944年という設定になっている。既に、その後三十六年間に渡る軍事政権による支配が始まっており、逮捕や処刑を免れた人民戦線側の一部は、山に立てこもってゲリラ闘争をしていた。そういう時代の物語である。
父の死後、母が再婚したピダル大尉は強圧的で恐ろしい軍人。ゲリラの嫌疑がかかった村人を顔色一つ変えずに惨殺する。そんな父に脅える少女オフェリアは、村はずれにある迷宮の入口で牧神パンに出会い、本当は地下王国の王女であること、満月までに三つの試練に耐えれば、王宮に戻れると告げられる。
現実の世界では次々に恐ろしい出来事が続く。ゲリラは捕らえられ、支援していた内通者が発覚する。こうして過酷な現実に立ち向かう人々と、オフェリアの試練とが交錯していくのである。監督のギレルモ・デル・トロは、日本の漫画やアニメにも詳しいオタク監督とされているが、そういう日本人好みの見方は一面的である。
今回、スペイン・メキシコ合作としてつくられたこの映画で、恐怖の源泉となっているのはファシズムであり、モンスターはピダル大尉である。こういう発想ができるオタクが、日本でも生まれることを望みたい。最後の場面は涙でかすんで見えなかった。過酷な現実に負けずに生きようとしている人間には、強い励ましになるだろう。ファンタジーの原義を考えさせる一作。
2007年10月11日
2007年06月08日
カンヌ映画祭を彩った日韓の女性たち:河瀬直美とチョン・ドヨン
多忙で少し遅くなったが、今年のカンヌ映画祭を振り返って。日本での話題は河瀬直美の監督賞受賞、韓国での話題はチョン・ドヨンの主演女優賞受賞だった。ちなみにパルムドール(最高賞)、ルーマニアのクリスティアン・ムンジウ監督の「4Luni、3spatamini si 2 zile」。
河瀬直美監督は新人監督賞に続いて二度目の受賞。本来ならお祝いしたいところだが、ちょっと疑問がある。この人の映画は、とにかく面白くないのである。カンヌで新人賞を取ったのだからと思って観に行ったが、正直言って「フランス人って、どうしてこういう映画が好きだなんだろう」というものだった。わかったような顔をして、「素晴らしい!」「さすが!」とは言えなかった。
そもそも毎回、読みにくい漢字をタイトルに入れるところに疑問がある。読めないし、意味もわからないタイトルだ。大衆性をはなから無視しているようなつくりには、首をかしげざるを得ない。こういうのを自己満足というのではなかろうか。
映画監督には、「興行的な成功」か「日本での評価」か、あるいは「海外での評価」のどれかが求められる。河瀬監督は最後の一つしかない。前の二つのうちどちらかしかなくても、そういう映画には存在価値がある。しかし、最後の一つしかないというのはどうだろうか。元夫がプロデューサーだけに、上手に狙ったという感じが否めない。もちろん、そういう作戦もあるが。幸い、次回はわかりやすいタイトルの映画をつくるらしい。それで真価が問われるだろう。
更に言えば、今回の授賞式ファッションには驚いてしまった。映画監督が、ああいう服を着る必要があるだろうか。試写会の時はモデルが着るような「さくらん」風ポップな和服、授賞式では胸の谷間を露出した黒いドレス。どこかが提供したのだろうが、キャメロン・ディアスじゃあるまいし、全く似合わなくて恥ずかしかった。アカデミー賞授賞式での菊地凛子に続く勘違いだ。
やめた方がいいファッションという点では、韓国に初の主演女優賞をもたらしたチョン・ドヨンも同様だ。いい女優で、帰国した時にはノーメークという素朴さだったが、なまじ細身でスタイルがいいので、いつも露出過剰。韓国女優はアジアのセックス・シンボルをめざしているのだろうかと、心配になる。
とまぁ、映画の中身より周辺にこだわった話題になってしまったが、映画祭にはこういう野次馬的な観方もアリ。才能に恵まれた日韓の女性たちが、自分を見失わないことを祈る。
河瀬直美監督は新人監督賞に続いて二度目の受賞。本来ならお祝いしたいところだが、ちょっと疑問がある。この人の映画は、とにかく面白くないのである。カンヌで新人賞を取ったのだからと思って観に行ったが、正直言って「フランス人って、どうしてこういう映画が好きだなんだろう」というものだった。わかったような顔をして、「素晴らしい!」「さすが!」とは言えなかった。
そもそも毎回、読みにくい漢字をタイトルに入れるところに疑問がある。読めないし、意味もわからないタイトルだ。大衆性をはなから無視しているようなつくりには、首をかしげざるを得ない。こういうのを自己満足というのではなかろうか。
映画監督には、「興行的な成功」か「日本での評価」か、あるいは「海外での評価」のどれかが求められる。河瀬監督は最後の一つしかない。前の二つのうちどちらかしかなくても、そういう映画には存在価値がある。しかし、最後の一つしかないというのはどうだろうか。元夫がプロデューサーだけに、上手に狙ったという感じが否めない。もちろん、そういう作戦もあるが。幸い、次回はわかりやすいタイトルの映画をつくるらしい。それで真価が問われるだろう。
更に言えば、今回の授賞式ファッションには驚いてしまった。映画監督が、ああいう服を着る必要があるだろうか。試写会の時はモデルが着るような「さくらん」風ポップな和服、授賞式では胸の谷間を露出した黒いドレス。どこかが提供したのだろうが、キャメロン・ディアスじゃあるまいし、全く似合わなくて恥ずかしかった。アカデミー賞授賞式での菊地凛子に続く勘違いだ。
やめた方がいいファッションという点では、韓国に初の主演女優賞をもたらしたチョン・ドヨンも同様だ。いい女優で、帰国した時にはノーメークという素朴さだったが、なまじ細身でスタイルがいいので、いつも露出過剰。韓国女優はアジアのセックス・シンボルをめざしているのだろうかと、心配になる。
とまぁ、映画の中身より周辺にこだわった話題になってしまったが、映画祭にはこういう野次馬的な観方もアリ。才能に恵まれた日韓の女性たちが、自分を見失わないことを祈る。
2007年05月03日
「バベル」女子高生の制服が広げる性的イメージ
☆ このブログでは、映画のお薦め度をキーワードで示しています。
キーワードは「考えさせる」「元気がわく」「役に立つ」「視野が 広がる」「楽しめる」です。
「考えさせる」「「役に立つ」「視野が広がる」
アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ。知るヒトぞ知る、通好みの監督である。その監督の映画に無名の日本人女優が出演し、アカデミー賞にノミネートされた。そのために話題作としてGWに公開され、スカッとしたハリウッド映画が好きな人も観に行くことになり、一部で大ブーイングを浴びている映画である。
モロッコ、メキシコ、日本の三つの国で起きる物語が、時間的に前後しつつ進む。全体として、富める国の傲慢さが体感できる映画だ。同じメキシコを描いても、アメリカ人とメキシコ人とではこうも視線が違うのかと驚かされる。画面から肌触りまで伝わってくる。総じてアメリカを相対化した視点が秀逸で、それが高評価につながったのだろう。
問題は日本のエピソードである。出て来るのは高層マンションや渋谷。そしてクール・ジャパンの若者たちだ。菊地凛子演じる聾唖の女子高生は、精神にダメージを受けているがゆえに、奇怪な行動をする。非難のほとんどはここに集中している。
確かにあり得ないほどひどい内容で、日本女性としてはここまでして欲しくなかったし、脱げば体当たり演技なのかという疑問もある。また、どの批評家も当たり前のようにこの部分を肯定し、全く触れていないのにも違和感がある。本当に何とも感じていないのだろうか。
しかし、日本の女子高生がこう描かれるのも無理はない。あの短いスカートは異常だ。それを社会が容認・・・というより商品化し、商売のネタにしている。性的にルーズな行動を引き出す要素として使われても仕方がない。
この描き方を怒っている人も、モーニング娘。が女子高生の制服をベースにしたミニスカートで踊っている様子を、何なく受け入れているはずだ。そういう私たちの社会を、客観的に見るいい機会である。モロッコのエピソードも、モロッコの人が観ると不快なのではないかと思う。
監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ 20006年メキシコ映画 配給・ギャガ
キーワードは「考えさせる」「元気がわく」「役に立つ」「視野が 広がる」「楽しめる」です。
「考えさせる」「「役に立つ」「視野が広がる」
アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ。知るヒトぞ知る、通好みの監督である。その監督の映画に無名の日本人女優が出演し、アカデミー賞にノミネートされた。そのために話題作としてGWに公開され、スカッとしたハリウッド映画が好きな人も観に行くことになり、一部で大ブーイングを浴びている映画である。
モロッコ、メキシコ、日本の三つの国で起きる物語が、時間的に前後しつつ進む。全体として、富める国の傲慢さが体感できる映画だ。同じメキシコを描いても、アメリカ人とメキシコ人とではこうも視線が違うのかと驚かされる。画面から肌触りまで伝わってくる。総じてアメリカを相対化した視点が秀逸で、それが高評価につながったのだろう。
問題は日本のエピソードである。出て来るのは高層マンションや渋谷。そしてクール・ジャパンの若者たちだ。菊地凛子演じる聾唖の女子高生は、精神にダメージを受けているがゆえに、奇怪な行動をする。非難のほとんどはここに集中している。
確かにあり得ないほどひどい内容で、日本女性としてはここまでして欲しくなかったし、脱げば体当たり演技なのかという疑問もある。また、どの批評家も当たり前のようにこの部分を肯定し、全く触れていないのにも違和感がある。本当に何とも感じていないのだろうか。
しかし、日本の女子高生がこう描かれるのも無理はない。あの短いスカートは異常だ。それを社会が容認・・・というより商品化し、商売のネタにしている。性的にルーズな行動を引き出す要素として使われても仕方がない。
この描き方を怒っている人も、モーニング娘。が女子高生の制服をベースにしたミニスカートで踊っている様子を、何なく受け入れているはずだ。そういう私たちの社会を、客観的に見るいい機会である。モロッコのエピソードも、モロッコの人が観ると不快なのではないかと思う。
監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ 20006年メキシコ映画 配給・ギャガ

