2008年06月15日

「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」石油と宗教保守 アメリカの原型

 「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」。わかりにくい題名だが、今年のアカデミー賞で「ノーカントリー」と作品賞を競った映画である。考えなければ内容が想像できない題名で公開するのは、いい加減にしたらどうだろうか。

 映画自体は凄まじいというか、ずしんと来る内容である。アメリカでは「市民ケーン」に匹敵する傑作という評価を受けたが、まさに。「ブギーナイツ」や「マグノリア」の監督が製作したとは思えない。引き出しがたくさんあるのか、多重人格なのか。
 
 石油に取り憑かれ、立ちはだかる難問と戦いながら巨大な富を手に入れていく主人公は、次第に人格が歪んでいく。人間というより、怪物のような存在になっていくのだ。それが、今のアメリカそのものに見えるのである。対テロ戦争を支える二本柱、石油利権と宗教保守を対決させるとは、見事の一語である。
公式サイト
http://www.movies.co.jp/therewillbeblood/
gazou 2 ←これは宣伝です(笑)
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          ランダムハウス講談社 1800円
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2007年11月08日

「ブレイブワン」ジョディ・フォスターの皺が美しい

☆ 考えさせる 視野が広がる 
 
 ジョディ・フォスターは今、45歳だ。大学を出た後、「ホテル・ニューハンプシャー」(1984年)、「告発の行方」(1988年)などで、女性が受ける深い傷を演じた。また「羊たちの沈黙(1991年)、「コンタクト」(1997年)、「パニックルーム」(2002年)、「フライトプラン」(2005年)などで、困難と闘う女性を演じ続けている。

 私にとって、彼女は良き同時代人だ。ハリウッドでも、40歳を過ぎた女優が活躍し続けるのは難しい。シャロン・ストーンは「氷の微笑」でセクシー女優として登場した後、懸命に路線転換をはかったが難しく、結局15年後に「氷の微笑2」に出演することになった。長いキャリアと圧倒的な成功を収めたジョディ・フォスターが、先頭を切って新しい役柄を開拓していく姿は、頼もしいの一語だ。

 この映画「ブレイブワン」は、彼女が演じてきた役柄の系譜の上に、犯罪被害者の救済という現代の難問を絡ませた作品。アイルランド人のニール・ジョーダン監督は、ニューヨークをどこかよそよそしい街として描いている。一度銃を手にしてしまったヒロインは、もはや元の人間には戻れない。復讐は彼女を空虚にしただけだった。

 それにしても、年齢相応に皺の寄ったジョディ・フォスターの顔の、美しいこと。今の日本の、美肌至上主義はどうかしてる。
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2007年07月23日

「ダイ・ハード4.0」アメリカの全てが凝縮されている

☆ 楽しめる 
1988年に製作され、翌年日本で公開されたシリーズ一作目は、アクション映画の性格を変えた傑作だった。

 敢然と立ち向かっていくマッチョマンではなく、たまたま災難に巻き込まれ、半ば泣きながら仕方なく闘う生身のヒーロー。知力を尽くして最後まで粘るマクレーンの姿は圧倒的で、以後、アクション映画の主人公は弱さそうな方がリアリティーが出るようになった。何しろ、マット・ディモンまでがアクション映画に出ることになったのだ。

 で、「ダイ・ハード」は大ヒットしたので、1990年に「ダイ・ハード2」、1995年に「ダイ・ハード3」がつくられた。まぁシリーズものの常として、パワーは少しずつ落ちていき・・・これで終わりかと思いきや、12年たって四作目の登場となった。もうあれから20年経ったのかと、私も感慨深いものがある。

 今回の「ダイ・ハード4.0」は、この間の社会の変化を反映して、サイバー・テロとの戦いになっている。もはやありふれた設定ではあるが、超アナログ刑事のマクレーンがオタクの若者と組むのが面白い。この若者がまた情けない感じで、「ダイ・ハード」の基本はきちんと押さえてある。

 テロの脅威、組織と闘う個人、体制と反体制との確執。今のアメリカが凝縮されている。それにしても、虫けらのように人を殺す。大量殺戮である。ここが一番アメリカ的か。
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2007年07月08日

「あるスキャンダルの覚え書き」自分探しという孤独

☆ 考えさせる 
 演技派女優二人の共演が見物の、心理サスペンス的ドラマである。男性と無縁の人生を送ってきた独身のベテラン教師と、夫も子どももいる若く美しい中産階級の美術教師。この二人に友情が芽生え、それが依存に変化し、あることをきっかけに崩壊していく。

 女同士の愛憎劇という陳腐な言い方はしたくない。女の孤独は、あまりにも普遍的なテーマなのである。見るからに女性的な魅力に欠け、年老いて生徒からも同僚からも疎まれているバーバラ。彼女の孤独はわかるとして、40歳を過ぎたばかりの美しい美術教師シーバの孤独も、同じぐらい深刻だ。

 誰もがうらやむ美貌に恵まれ、美術教師という仕事も持ちながら、シーバは満たされず、自分に自信が持てない。若さと美しさを求められる限り、あるいは自分で求めている限り、女性は自分に自信が持てない。電車の中で鏡と携帯電話を交互に覗き込む女性を見ていると、現代女性の深い孤独を痛いほど感じる今日この頃である。
2006年 アメリカ映画 配給:20世紀フォックス
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2007年04月20日

「オール・ザ・キングスメン」悪は善から生まれて善を押し流す

 「考えさせる」「「役に立つ」「視野が広がる」
 先週の「ブラッドダイヤモンド」に続き、珍しくハリウッド映画を二本続けて観た。しかも当たり! やはりハリウッド映画は、社会的政治的テーマを扱ったものが面白い。世界一の軍事大国アメリカ、性と暴力のアメリカで、文化的多様性の一角を担ってきたハリウッドの熟練の技である。

 この映画、ある意味でショーン・ペンの存在感が全てと言ってもいい。ジュード・ロウ、ケイト・ウィンスレット、アンソニー・ホプキンスなどのそうそうたる俳優が出ているのだが、ショーン・ペンのただ者ではないたたずまいの前では影が薄い。演技以前の何かがショーン・ペンにはある。ショーン・ペンは間違いなく、アメリカの一側面を体現している。

 原作はロバート・ベン・ウォーレンのピュリツァー受賞作「すべて王の民」。第二次大戦後間もないルイジアナ。汚職に一人で立ち向かう実直な男、下級役人のウィリーが知事選に出馬を促される。しかし、票を割るために利用されたと気づいた彼は、怒りを込め全身全霊で演説を繰り返す。富裕層の特権を批判し貧しい者の救済を訴える彼は、人々の心をつかんで地滑り的勝利を収める。

 しかし、やがて知事として政治に通暁していくに従って権力に安住し、汚い手も使う凡庸な政治家に変貌していく。いつの間にか、貧困層の支持を背景に辣腕を振るうポピュリズム政治家に堕していたのだ。もともと、神の名の下に悪の撲滅を叫ぶウィリーの正義論は、危ないものをはらんでいた。

 悪は善から生まれて善を押し流す。善悪二元論は憎しみを正当化し、限りなく悪を生み続ける。関係性の中から生まれてくる悪を固定化絶対化する愚を、我々は顧みなくてはならないだろう。
2006年アメリカ映画 監督:スティーブン・ゼイリアン 配給:ソニーピクチャーズ

☆探そう、行きつけ美容室! 
美容室検索サイトCocobi(ココビ) http://www.cocobi.net/
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2007年04月13日

「ブラッド・ダイヤモンド」 ダイヤをめぐる、アフリカと白人と私たちの物語

「考えさせる」「役に立つ」「視野が広がる」
 この重いテーマを映画にしようと思ったことに脱帽である。「投資家がリスクを避けて、ヒット作の続編ばかりつくる」「リメークばかりしている」と評判の悪いハリウッド映画だが、時々こういう作品が出てくるから侮れない。派手で、時にあざとい手法が生きている。

 90年代末のシエラレオネの内戦を舞台に、ダイヤモンドをめぐる密輸、傭兵、内戦。そして、腐敗した政府と少年をさらって兵士にする反政府組織と宝石会社の、欲と利益と血にまみれた取引と争いを描いている。まさに「血塗られたダイヤモンド」だ。

 最近、アフリカを舞台にした映画が増えている。それは難問を山ほど抱えたアフリカが、映画の題材に事欠かないからだ。そう考えると複雑な思いがするが、消費文化に埋もれている私たちにはアフリカの現実を知る必要があり、その手段は限られている。しかも新聞は読まれないし、市民運動に参加する人も少ない。映画は残された数少ない手段の一つだ。

 しかも、レオナルドディカプリオのようなメジャーな俳優の主演作だ。そのデイィカプリオ。作品選びに難があり、年齢が上がるにつれて顔や体型が変わってきたこともあり一時低迷していたが、この映画で完全復活だ。一癖も二癖もある個性派の風貌になって、アイドル時代の雰囲気を完全に脱した。特に下から睨み上げる時の表情が絶品なので、是非観て頂きたい。意志の強いジャーナリストを演じるジェニファー・コネリーも美しい。
監督:エドワード・スウィック 2006年:アメリカ映画 配給:ワーナーブラザース
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2007年03月23日

「不都合な真実」良心的な人間の中に見えるアメリカの刻印

「考えさせる」「役に立つ」「視野が広がる」
 やっと「不都合な真実」を観ることができた。公開されたらすぐ観ようと構えていたにも関わらず、なかなか観に行けなくて、これはDVD路線かなと思っていたのだが、すべりこみセーフ!(以下、ネタバレあり) 

 何よりも驚いたのは、アル・ゴア氏の魅力的な話し方。アメリカ大統領の座を争ったのだから当然と言えば当然だが、語りかけるとはこういうことかと感心。子供の頃から、そういうトトレーニングを受けてきたのだろうが。わかりやすく、ビジュアル資料はあくまで見やすく美しく、これぞプレゼンテーション!という好例である。

 ゴア氏は学生時代に、教授の影響で環境問題に目覚めた。付け刃でない蓄積が説得力を増している。アカデミー長編ドキュメンタリー賞を受けたこの映画は、随所にゴア氏のエピソードを交え、個人史と重ね合わせている。

 娘を肺がんで亡くして親がタバコ栽培を辞めたこと、ゴア氏が息子を亡くして考え方が変わったこと。大統領選に「負けて」、これからどう生きようか迷ったことなど、ゴア氏の内面を明かすことによって、私たちはそこに不屈の闘志を見るのである。

 そして私は思った。この映画がアカデミー長編ドキュメンタリー賞を獲得したのは、アメリカの民主主義への強い信頼と、希望あふれるメッセージゆえではないかと。「民主主義の国アメリカにはこれができる」「世界は変えられる」と訴えるゴア氏。中国の大学で講演し、万雷の拍手を受けるゴア氏の姿は、地に落ちたアメリカへの信頼を再び取り戻した人々にとって、大いなる希望でなったはずだ。

 だからこそ、子供の頃の農場暮らしの楽しさを語る中に、「ライフルも撃てたし」という言葉がさらりと出てくるのには、ドキリとさせられる。そして映画「華氏911」の冒頭、下院議長としてアフリカ系議員の発言を遮るゴア氏の姿が脳裏に浮かび、私は混乱した。この良心的な人間の中に見えるアメリカの刻印に、私は正直言ってとまどうのである。

 なおその後、ゴア氏は豪邸に住んでいて、実際には大量の電力を消費しているという情報が流れている。恐らくそうなのだろうが、自家発電を利用しているということだし、こういうことですぐに偽善者という決めつけをするのはどうだろうか。
監督:デイビス・グッゲインハイム 2006年アメリカ映画
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2007年01月29日

「エンロン 巨大企業はいかにして崩壊したのか」 攻撃性が賞讃される時

「考えさせる」「役に立つ」「視野が広がる」
 この映画、昨年11月の公開時に見逃したのだが、渋谷のミニミニシアター「シネ・ラ・セット」でまた上映されたので観に行った。シネ・ラ・セットはユニークな映画館である。座席数40。前半分にはソファ丸テーブル。ちょっとイイ感じ。
 
 惜しむらくは椅子が古いので、座っていると腰が痛くなることだ。最近の映画館は、こういうところにも配慮が行き届いている。シネ・ラ・セットもリニューアルしてもらいたいところだが、興行成績度外視のラインナップだから無理か。

 エンロンは、規制緩和の波に乗って拡大した巨大エネルギー企業。2001年の12月、不正発覚から二ヶ月で破綻した。この映画はエンロンが限りなく膨張し、風船がはじけるように破綻していく過程を、元社員や証券アナリストなど関係者の証言を交えて再現していく。

 規制の多いカリフォルニアを狙い撃ちにして計画停電を起こし、困っている人々を笑っている社員の様子は衝撃的だ。攻撃性と弱肉強食の論理が、当たり前のようにまかり通っていたのである。その冷酷な企業姿勢がニューエコノミーの旗手として賞讃され、それを大統領が支えた。

 攻撃性が賞讃されるのはどういう時か。なぜそれが放置され、多くの人が傍観するのか。悪事が勢いを持った時、それを止めるにはどうすればいいのか。今、日本人が直面している問題である。2005年度アカデミー長編ドキュメンタリー賞受賞
 監督:アレックス・ギブニー 2005年アメリカ映画 配給:ファントム・フィルム
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2007年01月28日

「エラゴン 遺志を継ぐ者」 農民の息子がドラゴンライダーに

「楽しめる」 
 私は冒険ファンタジーが大好きだ。一番のお気に入りは何と言っても「ロード・オブ・ザ・リング」。あれを超えるファンタジー映画は当分出ないだろう。スケールの大きさ、監督の情熱、キャストの多彩さと魅力において、「ロード・オブ・ザ・リング」は群を抜いている。

 その結果、以後は何を観ても二番煎じにしか見えなくなってしまった。「ナルニア国物語」しかり。この「エラゴン」も予告編を観ただけで、似たような内容でスケールが小さいという印象を受けてしまった。

 それでも観に行ったのは、原作者のクリスファー・パオリー二がまだ23歳で、書き始めた時は15歳だったということに関心を持ったからだ。自費出版して売り歩いたという。そういう若者が描くファンタジーとはどういうものか、興味が湧いたからだ。

 で、内容はやはり何かに似ていてスケールも小さいという印象(あくまで映画を観た限りでは)。これは仕方がないだろう。でも設定が面白かった。

 兄弟同様に育った従兄弟は、兵役を嫌って村を出る。残された主人公は抵抗する人々(山にこもっているからゲリラ)を率いて、独裁を続ける王に立ち向かうのだ。王子が頑張るのではなく、持たざる農民の息子が頑張るという抵抗精神に好感が持てる。

 ドラゴンとの友情もいい。96年に公開された「ドラゴンハート」を思い出したが、このドラゴンは女性なのがいい感じ。ゲリラの頭領はアフリカ系が演じていたが、原作ではどうなのだろうか。
 監督:シュテフェン・ファンマイアー 2006年アメリカ映画 配給:フォックス
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2006年12月30日

「硫黄島からの手紙」虚しさと悲しさと


 硫黄島は太平洋上にある小さな島だ。一昨年に小笠原に行った次女が帰ってきて、「一年に一度、硫黄島というところに行ける時にあたっていたらしいよ」と言っていた。小笠原は硫黄島に近いのだ。

 私は「硫黄島は太平洋戦争の激戦地で、オリンピックの馬術競技で金メダルを取った人が戦死したのよ」と話した。

 この秋から、硫黄島二部作が公開されている。硫黄島の戦いをアメリカ側から描いた「父親たちの星条旗」に続いて、いま日本側から描いた「硫黄島からの手紙」が公開中だ。

 日本がつくったら、愛する者を守るために戦った感動の物語!「男たちの大和/YAMATO」のようになったであろう題材を、クリント・イーストウッド監督は淡々と描いている。

 「おめでとうございます」という言葉と共に召集令状が届き、日の丸を掲げていない家に憲兵が来る。「日章旗を掲げていないのは非国民だ」という言葉を、ハリウッド映画で見るのは複雑な心境だ。

 見捨てられた硫黄島の日本軍は弾も水も尽き、「靖国で会おう」「天皇陛下万歳」と叫びながら死んでいく。一体何のために? 誰のために? 
 彼らの死は報われず、大本営は本土決戦を叫び続けた。残ったのは破壊と癒えない悲しみだけだ。虫けらのように死ぬしかなかった彼らの無念は、今も硫黄島をさまよっているだろう。
 
クリント・イーストウッド監督 配給:ワーナーブラザース 2006年アメリカ映画



 
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2006年11月11日

「父親たちの星条旗」硫黄島の悲劇を日米で共有


 硫黄島は、太平洋上に浮かぶ小さな島です。東京グァム島間のほぼ中間にあります。戦争体験世代でなければ知らないのではないでしょうか。地図で見ても探すのが難しいぐらいですから。しかし太平洋戦争の末期、硫黄島は大激戦地となったのです。

 アメリカでは過去二回、硫黄島の戦いをテーマに映画が作られています。三回目である「父親たちの星条旗」の特徴は、二部作になっていること。二ヶ月後には、日本側から見た「硫黄島からの手紙」が公開されます。

 太平洋戦争終結後六十一年、ようやくこういう表現法が出てきたかと、ちょっと感銘を受けました。これまでは日米で太平洋戦争を描く場合、必ず相手は「顔の見えない悪の集団」でしたから。

 相手も同じ人間で、かけがえのない家族がいて、それを失った悲しみは決して癒えない・・・この当たり前のことをスクリーンを通じて共有するまで、六十一年かかったということです。で、近づいてきたのはアメリカ映画の方でした。何しろ日本は「男たちの大和/YAMATO」ですから(笑)

 硫黄島の擂鉢山に、六人の兵士が星条旗を立てる様子を映した写真は、あまりにも有名です。像が立ち、切手にもなっています。しかし、英雄であるはずの彼らの戦後は苦いものでした・・・。美談がつくられていく構造の中に、戦争の本質が隠されています。
 監督:クリント・イーストウッド 配給:ワーナー・ブラザース 2006年アメリカ映画
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