2008年06月01日

「光州5.18」韓国映画の原点と魅力

 
 1980年に韓国で起きた光州事件。新軍部の台頭によって軍事政権の第二幕が始まる前に起きた、韓国現代史の悲劇だ。この光州事件が映画になった。「光州5.18」である。人気俳優を使った商業映画でありながら、光州の悲劇をリアルに描いている。
 
 この映画の中で一番衝撃的な場面は、市民たちが太極旗に向かって国家を歌っているときに、 戒厳軍が一斉射撃を始めるところだろう。 「韓国万歳! 光州万歳!」と叫んで市民が倒れる描写もある。 深夜の街を、「私たちを忘れないでください」と言って回るラストシーンも心に滲みた。

  戒厳軍も市民も愛国心を掲げているわけだが、軍隊の愛国心は「体制」を守るもので、 市民の愛国心は「国民社会」を守るものだ。 つまり、体制が社会を押しつぶしていくのである。

 あれから28年。韓国の民主化は一段落、大統領選挙の焦点は経済で、国のCEOを公言する大統領が誕生した。若者の非政治化も進み、80年代に民主化を担った学生運動は縮小し、時代に合わなくなっているという。韓国社会は次の段階に入った。

 しかし韓国にはまだ、こういうテーマに取り組む監督がいる。そしてそういう志を忘れない限り、韓国映画は魅力的であり続けるだろう。
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2007年12月08日

「呉清源 極みの棋譜」東洋の美、ここに極まれり

☆楽しめる 考えさせる 視野が広がる 

 製作が発表された時から楽しみにしていた映画である。「黄色い大地」「さらば我が愛 覇王別姫」の陳凱歌や、「赤いコーリャン」「初恋のきた道」の張芸謀と並ぶ中国映画第五世代、田壮壮監督の新作。主演は台湾の若手で超美形!、しかも全篇日本語の中国映画だ。

 囲碁をたしなむ者なら誰でも知っている「昭和の棋聖」、呉清源の人生を描いている。私はたまたま、息子さんと知り合いである。何回か観た予告篇から映像の素晴らしさが伝わってきて、大いに期待していた。で、感想をひとことで言うと「東洋の美、ここに極まれり」。静謐で抑制的、映像も音楽も心身に滲み渡るかのごとくだ。
 
 呉清源が14歳で日本にやってきたのは、満州事変が起こる三年前。日中関係は既に悪化の一途をたどっていた。日本人棋士との対局を、新聞は「日中対決」と書き立てる。一切の雑念を振り払い、囲碁一筋に生きようとする呉清源だったが、現実はそれを許さなかった。

 時流とは距離を置き、ひたすら囲碁を打ち続ける棋士たち。次の対局は無いかもしれないと言って、出征していく棋士もいる。昭和20年8月6日、広島で行なわれている本因坊戦の最中に、原爆が投下される。それでも打ち続ける姿は壮絶そのもの。この映画は、徹底して個人に生きる人間たちを描いた物語でもある。
 
 日中の複雑な歴史に翻弄された呉清源は一時、新興宗教にのめり込む。信仰への思いを描こうとした理由を、田壮壮はこう述べている。「私の親達の世代は、若い頃から共産党に奉仕して、文革を経てもなお党を信じている。しっかりした信仰を持つ人は幸せだと思った」。今、中国の若者たちは何を信じているのだろう。それが市場原理でないことを私は祈っている。12月8日、日米開戦の日に記す。
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2007年09月25日

「長江哀歌」沈む村、変わる中国

☆ 視野が広がる 

 中国映画の第五世代が、文化大革命批判という現代史見直しもので世界に登場、絶賛を浴びてから二十数年。ニューウェーブを担った陳 凱歌(チェン・カイコー)、張 芸謀チャン・イーモウらは大家となって大作をつくっている。商業的成功の代償としてのハリウッド化だ。まぁ政府との関係もあるし、大家が小品ばかりつくるわけにもいかないし、難しいところだ。

 しかし喜ばしいことに、次のインディーズ世代がまた佳作を送り続けている。その代表格である賈樟柯 (ジャ・ジャンクー)の新作。昨年度のベネツィア映画祭金獅子賞受賞作である。

 万里の長城以来の大工事と言われる、三峡ダムの建設によって沈む周辺の村と二組の男女、そして周囲の人々の物語だ。淡々と進む解体工事、思わぬ事故で犠牲になる若者、衣裳をつけたまま携帯ゲームに熱中する京劇役者と、中国の今が効果的に視覚化されている。

 三峡下りの船内では、毛沢東や?小平の映像に合わせて、「三峡ダムの建設は共産党の大事業」という甲高いナレーションが流れる。その積年の夢が、市場経済化によって実現するという皮肉。豊かさへ向けてひた走る隣国の姿に、東アジアの近代化という難問を見る思いだ。
2006年中国映画 配給:ビターズエンド=オフィス北野

☆ お薦め映画ブログ 
インディーズ最高のバンド ソウルフラワーユニオンのボーカル 
中川敬のブログ「シネマは自由をめざす」
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2007年06月14日

「女帝」中国系の才能が結集した、圧倒的なエンターテインメント

 凄惨で美しい物語である。オープニングから、現代アートのような画面に目が釘づけ。シェークスピアの「ハムレット」を大胆に翻案、舞台を五代十国時代の中国に置き換え、愛と権力をめぐるすさまじい物語につくりかえている。観客に様々な解釈の余地を与え、美しい映像や舞踊で楽しませ、ワイヤーアクションまで取り入れた贅沢なエンターテインメントだ。

 「とにかくチャン・ツィイーが美しい」「チャン・ツィイーを観る映画」という感想が多いようだが、それでは「『パッチギ!』は沢尻エリカを観る映画」と言っているのと同じである。もちろん、実際チャン・ツィイーはきれいだし、どう観ようと自由だが、その見方ではちょっともったいないような気がする。

 プログラムに脚本家の中島丈博がこう書いていた。「キャラクターとストーリーの貧困に喘ぐ現在の邦画界に、果たしてこの堂々たる劇的宇宙と拮抗する力があるのだろうか」。全く同感である。実にスケールが大きいのだ。

 私は先月、日中の脚本家が共同で執筆した舞台「下周村」を新国立劇場で観た。驚いたのは、どこを日本の脚本家が書いてどこを中国の脚本家が書いたのか、観ていてわかるということだ。描いている世界が全く違うのである。私はこの舞台を観て、日本的知性というものは非観念的で情緒的なんだということがよくわかった。それが、日本特有の繊細な描写につながるのだろう。

 さて、プログラムを買って丹念に読んだ結果、もう一つわかったことがある。この映画は中国系の才能が結集してつくりあげたものだということだ。俳優はもちろん、衣裳や美術、音楽やワイヤーアクションに至るまで、香港やアメリカなど、各地に散らばっている中国系のアーティストが結集しているのである。このネットワークは、これからもっと威力を発揮するだろう。中国と対立するのは得策ではない。

 とにかく「四千年の大国が、多極化する世界の一角を担うべくグローバルスタンダードに直面した時、どういう文化を生み出すか」強い関心を抱いている私にとって、非常に興味深い映画だった。西洋近代に出会って150年、共産中国建国から60年。中国がたどり着いた表現の現在は、私たち日本人にとっても非常に刺激的である。
2006年 中国・香港合作 フォン・シャオガン監督 配給:ギャガ 
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2006年12月14日

「王の男」韓国映画人の心意気

ou ←宣伝(笑) 好評発売中!
「歴史を知ればもっと面白い韓国映画」川西玲子
         ランダムハウス講談社 1800円
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 これはすごい映画だ。ふだん韓国映画を観ない人に、ぜひ観てもらいたい。韓国映画と言えば甘いラブストーリーだと思い込んでいる人に、韓国映画の違う顔をぜひ知ってもらいたいのだ。

 ポスターが朝鮮王朝の美しい衣裳に彩られているので、華麗な王朝絵巻を期待して観に行くと落差に驚くことになる。「女より美しい男」イ・ジュンギを観に行った韓国映画ファンも、内容の激しさに驚いたかもしれない。

 もちろん、朝鮮半島の大衆芸能をたっぷり堪能できる。独特の仮面、音楽、衣裳も魅力的である。しかし、下ネタ系の上品とは言えない庶民の笑いや、障害を持つ人の真似をする病身チムといった、問題をはらんだ表現を敢えて描くことによって、この映画は封建体制下の民衆の姿を浮かび上がらせた。

 最下層の民でありながら、圧政を笑いのネタにして抵抗する芸人の心意気に、軍事体制下を生き抜いた韓国映画人の志が脈打っている。ラスト、過酷な運命にさらされながらなお、「今度生まれてきても芸人になりたい」と言い放つ主人公の言葉に、涙があふれた。

 封建体制の遺物と闘う東アジアが、世界に放った快作である。日本人も中国人も、この映画を誇りに思っていい。
 監督:イ・ジュンイク 2005年韓国映画 配給:角川ヘラルド=CJエンターテインメント
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2006年11月15日

「ウィンターソング」中国の中の香港

 香港映画「ウィンターソング」を観てきました。10年に渡る男女の三角関係を、ミュージカル映画の撮影と同時進行で見せる絢爛豪華な映画。久々に香港映画の面目躍如です。

 映画もねっとりしていて楽しめますが(笑)、何より興味深かったのが大陸との距離感。香港人が描く北京の街並みも一見の価値あり。この9年で香港はどう変わったのか、うかがえる映画でした。

 イギリスは清にアヘン戦争をしかけ、1842年の南京条約や1860年の天津条約で香港をもぎ取りました。欧米列強は瀕死の清に対して、本当にひどいことをしましたね。1997年、返還の年に中国映画「アヘン戦争」が公開された時、私は何度も観て溜飲を下げたものです。

 しかし、コンベンションセンターで行なわれた返還式典で、時計が7月1日の午前零時をさし、ユニオンジャックと五星紅旗が入れ替わった時・・・正直に言いますが、私の中で不安が頭をもたげたのです。「香港はこれからどうなるのだろうか」。それは私の中に潜在していた、中国の体制への不安でした。

 過去の経緯とは別に、私は返還前に最後の総督パッテンが力を注いだ民主化への努力を、好意的に見ていました。香港の言論と表現の自由は、果たして保証されるのだろうか。その不安は数時間後、人民軍が入ってきた様子を見た時にさらに拡大しました。それは、私の中にある民主主義の基準がなお西洋的なものであるという矛盾を、意識した瞬間でもありました。

 この問題に対する答を、私はまだ見いだせません。中国の民主化とはどういうことか。それはすなわち、日本の民主主義を問い直す作業でもあります。日本の戦後は結局、「植民地近代化」だったと私は考えています。

 日本オリジナルの民主主義を、私たちはまだ手にしていません。一方で、自由と民主主義を掲げて戦争をするアメリカには怒りを感じます。日中は共に、アジアの民主主義を模索していく仲間だと思っています。

 香港映画はその後、才能の流出や中国映画の商業化によって低迷。人気者、レスリー・チャンを自殺で失うという悲劇にもみまわれました。一時に比べると寂しい状況です。

 しかし、日台ハーフの金城武、大陸からジョウ・シュン、そして韓国からチ・ジ二を起用してつくった「ウィンターソング」には、大陸との距離をさぐりながら香港がつくりつつある、新しいアイデンティティが感じられます。香港映画はもしかしたら、数年後には低迷を抜け出すかもしれません。

 なお、チ・ジ二の中国語を聞けたのは収穫だった(笑) 「チャングムの誓い」のヒットで、今やアジア全体の人気者です。素敵よね、あの人。
 監督:ピーター・チャン 配給:角川ヘラルド 2005年香港映画
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2006年10月22日

「トンマッコルへようこそ」 村人に癒されて、兵士たちは人間に戻る

 日本人がまともに朝鮮戦争の映画を観たのは、恐らく「ブラザーフッド」(原題「太極旗を翻して」2004年)が初めてではないでしょうか。この映画は、韓国映画躍進の起爆剤となった「シュリ」を製作した、カン・ジェギュ監督の力作です。チャン・ドンゴンとウォンビンが共演しました。

 朝鮮戦争は、日本の植民地支配から解放されて5年後の、1950年の6月15日に始まりました。人民軍(北朝鮮)が武力統一をめざし、北緯38度線を超えて攻め込んできたのです。日本帝国主義の崩壊後、朝鮮半島は3年間、国がない混乱状態でした。1948年に朝鮮民主主義共和国と大韓民国の設立が宣言されて以後は、その混乱に政治的対立まで加わってしまったのです。

 朝鮮戦争はアメリカ率いる国連軍と中国軍まで介入した、悲惨な戦争でした。多くの死傷者を出して分断は決定的になり、後には相互不信と憎しみだけが残りました。北と南、両国とも民主主義発展の芽は摘まれ、長く不毛なイデオロギー対立が続くことになりました。

 北緯38度線は軍事境界線で、正式には朝鮮戦争は「停戦中」です。日本人は北朝鮮問題を考える時に、「日本の植民地支配がなかったら、朝鮮半島は分断されていただろうか」ということを、念頭に置く必要があるでしょう。隣国を襲った悲劇が「朝鮮特需」となって、日本の戦後復興の牽引力となったことも。

 さて「トンマッコルへようこそ」は、アニメ世代のパク・クァンヒョン監督がつくった新世代映画。架空の村トンマッコルに癒されて、国連軍と韓国軍と人民軍の兵士たちが人間に戻る物語です。久石譲音楽に乗せて、人間同士の心温まる交流が描かれます。しかし・・・。

 朝鮮戦争は東アジア全体に関わる悲劇でした。今さらではありますが、日本人がこの映画を観て朝鮮戦争を知り、それに日本がどう関わったか考えてくれれば嬉しいです。
 監督:パク・クァンヒョン 配給:日活 2005年:韓国映画
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2006年10月21日

「グエムル 漢江(ハンガン)の怪物」負け組一家の奮闘物語

 「グエムル (ハンガン)の怪物」は、今年の夏に韓国で公開され、歴代ナンバー1の興行収入を上げた映画です。韓国の人が観ると、細部にまで今という時代が綿密に描き込まれている作品。私は新宿の映画館で観ましたが、近くに座っていた韓国の人たちの盛り上がりがすごかった。

 日本でも、公開前から試写会での反応もマスコミ受けも良く、大いに期待されたのですが、客足は伸びませんでした。主な原因は、日本では怪物(怪獣)ものの人気が低下していることだと思います。事前にネットで「盗作だ」という悪意を持った情報が流されたことも、影響したかもしれません。

 配給会社が「怪物映画」であることを前面に出したプローモーションをしたことも、今思うと失敗でした。この映画は怪物映画というより、「楽しめて、しかもホロリとさせてくれる家族愛の物語」「何をやってもうまくいかない一家の、奮闘物語」なんですよ。その背景には、格差拡大という日韓共通の事情があります。

 朝鮮王朝以来の儒教の伝統に、軍事独裁政権の後遺症が加わって、韓国では長く家父長が強い権威を持っていました。しかし、パク一家の男たちは本当に頼りない。説教している間に子供たちに居眠りされてしまう祖父、その祖父の心配の種であるダメ父のカンドゥ、民主化運動上がりの大卒フリーターである、その弟。

 そんな男たちに、本番に弱いアーチェリー選手である娘も加わって、政府にも見捨てられた状況下、一家は怪物にさらわれた末娘を助けようと奮闘します。末娘の叔父にあたる大卒フリーターは火炎瓶をつくって怪物に投げますが、ことごとくはずれてしまいます。そんな彼を最後に助けるのは、恐らく民主化運動に挫折したのであろうホームレス、風来坊。「金で全てが動くと思うな」。この男が放つ一言は、現状への警告です。

 1948年の建国以来、韓国ではずっと民主化運動が続いてきました。1962年の、パク・チョンヒ軍事政権の成立から数えても30年近く。隣国の抑圧体制は「北朝鮮の脅威」のもとに正当化され、一方で日本と韓国は政治的癒着状態にありました。話せば長い物語です・・・。

 旧世代の祖父が最後に見せる大きな愛に、消えゆく家父長の輝きがあって泣けます。激動の韓国現代史を知ってから観ると、一段と味わい深い「グエムル」。「知らなかった〜」という方はDVDでどうぞ!
 監督:ポン・ジュノ 配給:角川ヘラルド 2006年 韓国映画

 

 

 

 
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2006年10月09日

「胡同のひまわり」 悲劇を乗り越えて生きる人々

 中国映画は1980年代半ばに大きな飛躍を遂げました。いわゆる第五世代の監督たちが登場、世界的な注目を集めたのです。その代表が『黄色い大地』(1984)の陳凱歌(チェン・カイコー)と、『紅いコーリャン』(1987)の張芸謀(チャン・イーモウ)です。この二人は共に、中国の近現代史を美しい映像で描き、世界に衝撃を与えました。

 中国の歩みは複雑です。1945(昭和20)年8月15日、日本の無条件降伏によって日中戦争は終わりましたが、中国はそのまま共産党と国民党の内戦に入ります。そして共産党の勝利によって1949年、中華人民共和国が設立されました。

 その後も色々な出来事が起きましたが、何といっても悲惨だったのは文化大革命。毛沢東が発動したこの「王様クーデター」で、1966年から10年間、中国全土は大混乱に陥りました。陳凱歌(チェン・カイコー)と張芸謀(チャン・イーモウ)は抗日戦争も含む、このような中国近現代史の苦難と、その中で必死に生きる人々を鮮烈に描いたのです。

 彼ら第五世代の登場から20年。中国映画は商業化し、鞏俐(コン・リー)や章子怡(チャン・ツィイー)のような世界的女優を生み出しました。そして大家となった第五世代の監督たちは大作路線になって、中国の現実から離れつつあります。そして今、注目すべきは第六世代です。「胡同のひまわり」の張揚(チャン・ヤン)監督もその一人。

 この映画は、オリンピックめざして街を作り変えている北京で、失われつつある古い街並・胡同を舞台に、父と息子の30年に渡る複雑な関係を描いています。自分の果たせなかった夢を息子に押しつける父親に、息子は強く反発します。しかし、その背景には文化大革命がもたらした悲劇があったのです。

 時代の大波に巻き込まれつつ、それでも幸せを求めて懸命に生きようとす人間たちを、張揚(チャン・ヤン)監督は暖かく見つめています。ラストを和解による単純なハッピーエンドにしなかったところに、監督の知性を感じます。

 過去もずっと、そしてこれからもずっと隣国である中国。その現代史を知ることは、政治や経済に頼らない日中共存のために、意味のあることではないでしょうか。



 
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2006年10月06日

「弓」 男の孤独と欲望

 アジアを代表する映画監督の一人、韓国の鬼才にして異端児のキム・ギドク、第十二作目の作品です。キム・ギドクは海外、特に日本や欧米で評価が高いのですが、韓国では人気がありません。韓国はまだ、キム・ギドクを必要としていないのです。

 今年、韓国で歴代最高のヒットを記録した「グエムル 漢江(ハンガン)の怪物」を、キム・ギドクはテレビで批判。その後、猛烈な自己嫌悪に陥ったらしく、「韓国映画界から引退する」というメールを報道機関に送ったあと、一時誰とも連絡を取らなくなりました。

 そのメールの中に、こういう一文があったのです。「自分は韓国社会で生きていくには、あまりに深刻な意識面の障害を抱えた人間。私こそ、韓国が生んだ怪物のようなものである」。う〜む・・・。

 キム・ギドクの作品は、彼が抱えている深いトラウマから生まれてきます。どれもこれも、すさまじい物語です。軍事政権が終わって、名実共に民主国家になって13年。経済と民主化が大きなテーマである韓国社会で、キム・ギドクの描く世界は好まれないでしょう。

 「弓」も、韓国では一週間で上映が打ち切られました。日本でも、東京では一館のみの単館ロードショーでしたが、週末はほぼ満員で、既に固定ファンをつかんでいいる様子が伺えました。7歳の少女を拾ってきた老人が、船の上で一緒に暮らし、17歳になったら結婚しようとしているのです。何とすごい設定でしょうか。

 「男の孤独と欲望」。これが「弓」のテーマです。まだジェンダー、つまり社会通念としての男らしさや女らしさが強調される韓国では、わざわざ映画館に観にいくような話ではないのでしょう。でも日本人には、切実になりつつあるテーマです。映像と音楽が美しく、しかも韓国の土着性を感じさせるところも、外国で高く評価される理由だと思われます。
 監督:キム・ギドク 配給:東京テアトル=ハビネット 2005年 韓国映画



 
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