2008年06月05日
「僕の彼女はサイボーグ」アジア的SF映画へのチャレンジ
「猟奇的な彼女」「ラブストーリー」のカク・ジョエン監督が、日本の俳優を使って日本で撮った作品。ひとことで言うとSF映画である。アジア人はSF映画をつくれないというのが定説だが、それはハリウッド映画と比べるからだ。それに、そもそも科学自体が西洋近代そのものなのだから、比べることには無理がある。
でも私は、アジアにはアジアのSFがあると思っている。この映画はラブストーリーを軸に、アジア的SF世界に挑んだ意欲作と言えるだろう。特に感銘を受けたのは、主人公ジローの子ども時代の描写。あれは昔の日本というより、汎アジア的故郷の風景ではないだろうか。
中国にも韓国にもあった、そして今、失われつつある懐かしい風景だ。改めて、アジアの近代化が「喪失」の上に成り立っているということを痛感した。メロドラマの一方手前で留まっているところにも、好感が持てる。
2008年05月22日
「靖国 YASUKUNI」靖国のタブーはむしろ強まった?!
靖国刀をつくり続ける90歳の刀匠へのインタビューを軸に、8月15日の靖国神社の様子を映し出す地味なドキュメンタリー。恐らく、ほとんどの日本人が知らない光景である。8月15日の靖国神社は異様な雰囲気だ。首相の靖国参拝に賛成にしろ反対にしろ、多くの人はわざわざ靖国神社には行かない。
ここに映っている人たちは、ある意味で極端な人たちだ。台湾先住民の抗議を通訳して伝える日本人は、怒りのあまり汚い言葉を使うし、靖国参拝反対を叫ぶ日本の若者は、わざわざ参拝運動を進める集会に乱入して殴られる。彼らに「中国へ帰れ!」と叫び続ける日本人の姿も、また見苦しい。
製作スタッフが本当に問いかけたかったのは、スクリーンに映っていない、大部分の日本人の意識ではないだろうか。それはかつて軍部に騙され、あるいは同調し、あるいは嫌々ながら侵略戦争を遂行した日本人に重なる層である。いつの時代も、この声なき多数派が国の進路を決めることになる。
この映画は結局、上映できることになった。しかし、宣伝になったなどと考えるのは早計である。政治家が介入して上映自粛を招いたという事実は大きいし、靖国のタブーはさらに強まるだろう。今後これだけのトラブルを覚悟して、靖国問題に取り組む日本人がいるだろうか。
2008年04月24日
「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」特異な事件に刻まれた時代の刻印
2月に開催された第58回ベルリン国際映画祭で、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」が二つの賞を取った。アジア映画の秀作を称えるNETPAC賞と、国際芸術映画評論連盟賞である。
連合赤軍事件もあさま山荘事件も、記憶している世代はもう限られる。全共闘について若者に説明するのも難しい。だが私は、来週の授業でこの映画を紹介しながら、大学生を前に敢えてこの難題に挑むつもりだ。そういうことが私にできる限りは、やっていこうと思っている。
この二つの事件は、一部の過激派学生が起こした特異な事件だ。全共闘についても、それに関わった世代から「流行に乗っただけ」という言葉をよく聞く。また多くの活動家が掌を返したように、就職して猛烈サラリーマンになっていったことも事実だ。ただのバカな騒乱だったという見方も多い。
だが中学から高校時代にかけて、同じ時代の空気を吸った私の感想は違う。あれは、起こるべくして起きた事件だったのだ。一部の極端で思い詰めるタイプの若者達が引き起こしたものではあるが、そこには時代の刻印がある。彼らは何かを象徴していた。私もまた同時代を生きた人間として、それに関わったという感覚がある。
連合赤軍事件を忘れることはできない。私は私の過去を曖昧にはできないし、日本社会もまた、過去を曖昧にはできないのである。立場の如何に関わらず、あの時代を生きた人間にも全く知らない世代にも、この映画を観てもらいたいと思う。現在は過去の続きだからである。「そんなの関係ねぇ」という言葉の先には荒廃しかない。それにしても、若松孝二という表現者が現役で幸いだった。
2008年02月02日
「母べぇ」悔し涙が止まらない
☆考えさせる 視野が広がる
観ていて涙が出た。悲しくて涙が出たのではない。悔しくて涙が出たのである。無謀な侵略戦争のために、良心的な日本人は塗炭の苦しみを味わった。それなのに最近、記憶が風化してきたのをいいことに、「戦前の社会が真っ暗だったわけではない」と言っている人がいる。そういう人に観てもらいたい。
今何が起きているか気づかなかった人、軍部やマスコミの宣伝に乗せられていた人にとっては、確かに「戦前の社会も真っ暗だったわけではない」のだろう。しかし、自由が圧殺されていることに気づいていた人、それに反対した人にとっては、真っ暗な社会だったのである。そして、初期の連戦連勝に浮かれていた人たちも、太平洋戦争の末期になると、重い沈黙に包まれた。
この映画が描いているのは主に、日米開戦前の日中戦争下の日々である。日本人があまり知らない時期の話だ。中国との戦争に反対した父が逮捕されて、母は娘たちを守りながら懸命に生きていく。やがて父は獄中で死亡。一家を支えていた青年も出征、美しい叔母も広島で命を落とす。
だがこの映画は悲惨ではない。ユーモアを交えて淡々と日常を追いながら、信念を貫く人間の美しさを讃えているからである。溺れかけた青年を助けるため、吉永小百合演じる母がワンピースのまま海に飛び込み、力強いクロールを見せた時には場内がどよめいた。昭和の母は強かった!
坂東三津五郎、浅野忠信、壇れい、笑福亭鶴瓶、志田未来などの個性派を揃えたのが成功している。それだけに「母べぇ」という、若者や女性の関心を惹かないタイトルにしたのが残念だ。
観ていて涙が出た。悲しくて涙が出たのではない。悔しくて涙が出たのである。無謀な侵略戦争のために、良心的な日本人は塗炭の苦しみを味わった。それなのに最近、記憶が風化してきたのをいいことに、「戦前の社会が真っ暗だったわけではない」と言っている人がいる。そういう人に観てもらいたい。
今何が起きているか気づかなかった人、軍部やマスコミの宣伝に乗せられていた人にとっては、確かに「戦前の社会も真っ暗だったわけではない」のだろう。しかし、自由が圧殺されていることに気づいていた人、それに反対した人にとっては、真っ暗な社会だったのである。そして、初期の連戦連勝に浮かれていた人たちも、太平洋戦争の末期になると、重い沈黙に包まれた。
この映画が描いているのは主に、日米開戦前の日中戦争下の日々である。日本人があまり知らない時期の話だ。中国との戦争に反対した父が逮捕されて、母は娘たちを守りながら懸命に生きていく。やがて父は獄中で死亡。一家を支えていた青年も出征、美しい叔母も広島で命を落とす。
だがこの映画は悲惨ではない。ユーモアを交えて淡々と日常を追いながら、信念を貫く人間の美しさを讃えているからである。溺れかけた青年を助けるため、吉永小百合演じる母がワンピースのまま海に飛び込み、力強いクロールを見せた時には場内がどよめいた。昭和の母は強かった!
坂東三津五郎、浅野忠信、壇れい、笑福亭鶴瓶、志田未来などの個性派を揃えたのが成功している。それだけに「母べぇ」という、若者や女性の関心を惹かないタイトルにしたのが残念だ。
2008年01月05日
「ALLWAYS 続・三丁目の夕日」過去のない昭和30年代
☆楽しめる 考えさせる
2005年、日本映画復活の牽引力の一つとなった「ALLWAYS 三丁目の夕日」の続編が公開されている。鈴木オートと、その周囲にいる地域の人々を中心に繰り広げられる物語だ。
集団就職で上京してきた従業員が一人いるだけの、小さな自動車修理工場、鈴木オート。その友人が営む吉田サイクル。東大出だが貧乏暮らしで、小説を書きながら細々と駄菓子屋を営んでいる、ロシア文学に傾倒する気の弱い若者といった面々だ。敗戦から13年、テレビが買えたことに感激し、ささやかな幸せを味わう人々の物語である。原作の持つこの目線が、大ヒットの理由だろう。
鈴木オートの社長は誰が死んだのか知るのが怖くて、一度も戦友会に行ったことがない。二言目には「戦争中はな」と説教して息子から嫌がられる。夫と共に鈴木オートを支える妻も、戦争に行ったっきり行方がわからない男性のことが心に引っかかっている。社会にはまだ戦争の影が色濃く残っていた。
だがこの映画にあふれる幸せ感が、それを吹き飛ばしている。その結果、ここに描かれる昭和30年代は過去のないものになった。そのために、この時代と現在とのつながりもまた、消えてしまったのである。経済成長を地域から支えた彼らは今、グローバル経済の大波に押されて四苦八苦しているはずだ。戦前と昭和30年代と現在とを一本の線で結んだ時、そこに見えるのは苦い現実である。
それにしても、英語と日本語をつなげた「ALLWAS 続三丁目の夕日」といいうタイトルはセンスが悪い。
2005年、日本映画復活の牽引力の一つとなった「ALLWAYS 三丁目の夕日」の続編が公開されている。鈴木オートと、その周囲にいる地域の人々を中心に繰り広げられる物語だ。
集団就職で上京してきた従業員が一人いるだけの、小さな自動車修理工場、鈴木オート。その友人が営む吉田サイクル。東大出だが貧乏暮らしで、小説を書きながら細々と駄菓子屋を営んでいる、ロシア文学に傾倒する気の弱い若者といった面々だ。敗戦から13年、テレビが買えたことに感激し、ささやかな幸せを味わう人々の物語である。原作の持つこの目線が、大ヒットの理由だろう。
鈴木オートの社長は誰が死んだのか知るのが怖くて、一度も戦友会に行ったことがない。二言目には「戦争中はな」と説教して息子から嫌がられる。夫と共に鈴木オートを支える妻も、戦争に行ったっきり行方がわからない男性のことが心に引っかかっている。社会にはまだ戦争の影が色濃く残っていた。
だがこの映画にあふれる幸せ感が、それを吹き飛ばしている。その結果、ここに描かれる昭和30年代は過去のないものになった。そのために、この時代と現在とのつながりもまた、消えてしまったのである。経済成長を地域から支えた彼らは今、グローバル経済の大波に押されて四苦八苦しているはずだ。戦前と昭和30年代と現在とを一本の線で結んだ時、そこに見えるのは苦い現実である。
それにしても、英語と日本語をつなげた「ALLWAS 続三丁目の夕日」といいうタイトルはセンスが悪い。
2007年11月19日
「犯人に告ぐ」時代を描いていないのが最大の欠点
☆ 楽しめる
豊川悦司主演の日本映画、「犯人に告ぐ」を観た。そこそこ面白かったが、何かが決定的に欠けている。それは「時代という視点」だ。携帯電話などの小道具や、街の風景から今の話だとわかるが、そういう背景を変えてしまえば80年代の話にも思える。90年代かもしれないという内容。原作はどうなのかわからないが、これでは奥行きが出ない。
時代を描くことが大切だ。時代の抱える問題を明確に意識して描くことが、いつの時代にも通用する物語を紡ぐことになる。私がここ数年観た中で最も優れた犯罪映画は、韓国映画「殺人の追憶」だ。民主化宣言前後の80年代後半を背景に、迷宮入りになってしまった連続殺人事件を通じて、韓国社会の本質に迫った秀作。あれ以来、面白い犯罪映画に出会えない。ちなみに、豊川悦司が最近い一番い演技をしていたのは「フラガール」。
豊川悦司主演の日本映画、「犯人に告ぐ」を観た。そこそこ面白かったが、何かが決定的に欠けている。それは「時代という視点」だ。携帯電話などの小道具や、街の風景から今の話だとわかるが、そういう背景を変えてしまえば80年代の話にも思える。90年代かもしれないという内容。原作はどうなのかわからないが、これでは奥行きが出ない。
時代を描くことが大切だ。時代の抱える問題を明確に意識して描くことが、いつの時代にも通用する物語を紡ぐことになる。私がここ数年観た中で最も優れた犯罪映画は、韓国映画「殺人の追憶」だ。民主化宣言前後の80年代後半を背景に、迷宮入りになってしまった連続殺人事件を通じて、韓国社会の本質に迫った秀作。あれ以来、面白い犯罪映画に出会えない。ちなみに、豊川悦司が最近い一番い演技をしていたのは「フラガール」。
2007年09月03日
「ベクシル 2077ー日本鎖国」奇妙なリアリティー
☆ 楽しめる
2067年、ロボット産業で世界市場を席巻していた日本は、国際協定違反を指摘されると国連を脱退。世界に背を向けて、ハイテクを駆使した鎖国体制に入る。そして10年、日本で何が起きているのか。
昭和8(1933年)の国際連盟脱退を意識した大胆な設定。春にこれを知ってとても驚き、以来ずっと楽しみにしていたアニメだ。ありえないはずの設定に奇妙なリアリティーがあるのは、やたらにナショナリズムが高揚しているせいか。
設定が大胆なら結末も衝撃的。スラムの細かい描写など見せ場も多く、一見の価値がある。女二人の友情も素晴しい。ただこういうアニメの常とはいえ、女性が武器を取って戦うことには違和感がある。それと、やはりフルCGはちょっと観にくい。
2067年、ロボット産業で世界市場を席巻していた日本は、国際協定違反を指摘されると国連を脱退。世界に背を向けて、ハイテクを駆使した鎖国体制に入る。そして10年、日本で何が起きているのか。
昭和8(1933年)の国際連盟脱退を意識した大胆な設定。春にこれを知ってとても驚き、以来ずっと楽しみにしていたアニメだ。ありえないはずの設定に奇妙なリアリティーがあるのは、やたらにナショナリズムが高揚しているせいか。
設定が大胆なら結末も衝撃的。スラムの細かい描写など見せ場も多く、一見の価値がある。女二人の友情も素晴しい。ただこういうアニメの常とはいえ、女性が武器を取って戦うことには違和感がある。それと、やはりフルCGはちょっと観にくい。
2007年08月08日
「怪談」 和の美が楽しめて、一重まぶたの良さがわかる?!
☆ 楽しめる
ジャパン・ホラーの担い手の一人、中田秀夫監督の新作である。世界50カ国に配給が決まったのは、「リング」の成功によるものだろう。本格的な怪談が映画化されるのは久し振りなので、楽しみにしていた。私が子どもの頃は、夏になると「四谷怪談」「牡丹灯籠」「番町皿屋敷」などの怪談がテレビで見られたものだが。
それなりに楽しめた。恐さよりも和の美を楽しむ映画。室内を照らすほのかな明かり、涼やかな風鈴の音、百万都市・江戸の町に上がる花火など、情緒たっぷり。葬列のシーンなど、つなぎの場面が美しく撮られている。
尾上菊之助の顔と身体に滲み込んだ歌舞伎の型も、一見の価値アリ。皇室と梨園は、ああいう顔を消滅させないのが存在意義かもしれない。二重まぶたでは魅力半減だ。日本女性もそろそろ、メークの方針転換をしたらどうか。
女優たちの和服姿も美しいが、ヒロイン黒木瞳は今風の細身なので、下半身に難あり。もう少し歩き方に工夫が欲しかった。それと、悪しきタイアップで主題歌を浜崎あゆみが歌っていて、せっかくの余韻が台無し・・・というより、全てを崩壊させている。まさかこのまま世界に配給するんじゃないよね。
ジャパン・ホラーの担い手の一人、中田秀夫監督の新作である。世界50カ国に配給が決まったのは、「リング」の成功によるものだろう。本格的な怪談が映画化されるのは久し振りなので、楽しみにしていた。私が子どもの頃は、夏になると「四谷怪談」「牡丹灯籠」「番町皿屋敷」などの怪談がテレビで見られたものだが。
それなりに楽しめた。恐さよりも和の美を楽しむ映画。室内を照らすほのかな明かり、涼やかな風鈴の音、百万都市・江戸の町に上がる花火など、情緒たっぷり。葬列のシーンなど、つなぎの場面が美しく撮られている。
尾上菊之助の顔と身体に滲み込んだ歌舞伎の型も、一見の価値アリ。皇室と梨園は、ああいう顔を消滅させないのが存在意義かもしれない。二重まぶたでは魅力半減だ。日本女性もそろそろ、メークの方針転換をしたらどうか。
女優たちの和服姿も美しいが、ヒロイン黒木瞳は今風の細身なので、下半身に難あり。もう少し歩き方に工夫が欲しかった。それと、悪しきタイアップで主題歌を浜崎あゆみが歌っていて、せっかくの余韻が台無し・・・というより、全てを崩壊させている。まさかこのまま世界に配給するんじゃないよね。
2007年08月03日
ドキュメンタリーの秀作二つ 「TOKKO-特攻」と「選挙 CAMPAIGN」
☆ 考えさせる 役に立つ 視野が広がる
レディースデーと映画ファンサービスデーが重なった一昨日、渋谷でドキュメンタリー映画を二本観た。「TOKKO-特攻」と「選挙 CAMPAIGN」である。映画ファンにとって、渋谷はミニシアターの街だ。
「TOKKO-特攻」はシネラセットで。定員40人の愛すべきミニシアター。その辺から持ってきたような椅子が置いてあって笑える。34歳の日系アメリカ人女性が、日本人も知らない神風特攻隊員の実像を、証言と記録映像で見せる。
アメリカ製ドキュメンタリー特有の、たたみかけるようなテンポで飽きさせない。「生きたかったよ、死にたくはなかったよ」という元特攻隊員の言葉が印象的だ。ちなみに、元特攻隊員だったということは誰にも言っていないそうだ。
「選挙 CAMPAIGN」はシアター・イメージフォーラムで。ここは割引をしていないので、109の中にある「ぴあ」で前売り券を買い、宮益坂へ。一昨年の川崎市議会補欠選挙に、公募で選ばれて自民党から出馬した男性の奮戦記。ドライな今どきの40歳が、妻をわざわざ「家内」と呼び、たすきをかけて神輿をかつぐ。ドイツでの上映では爆笑も起きたとか。
草の根保守の本質がわかる。子どもの頃から私を悩ませてきた、非合理と理不尽のスパイラル。でも、それを否定しては成り立たないのが選挙だ。現実の厚い壁の前に、舶来の近代合理主義は負けつづけてきた。土着の民主主義をどう構築するかは明治以来の課題だ。私たちはそろそろ、本気でこの問題に決着をつけなくてはならない。
レディースデーと映画ファンサービスデーが重なった一昨日、渋谷でドキュメンタリー映画を二本観た。「TOKKO-特攻」と「選挙 CAMPAIGN」である。映画ファンにとって、渋谷はミニシアターの街だ。
「TOKKO-特攻」はシネラセットで。定員40人の愛すべきミニシアター。その辺から持ってきたような椅子が置いてあって笑える。34歳の日系アメリカ人女性が、日本人も知らない神風特攻隊員の実像を、証言と記録映像で見せる。
アメリカ製ドキュメンタリー特有の、たたみかけるようなテンポで飽きさせない。「生きたかったよ、死にたくはなかったよ」という元特攻隊員の言葉が印象的だ。ちなみに、元特攻隊員だったということは誰にも言っていないそうだ。
「選挙 CAMPAIGN」はシアター・イメージフォーラムで。ここは割引をしていないので、109の中にある「ぴあ」で前売り券を買い、宮益坂へ。一昨年の川崎市議会補欠選挙に、公募で選ばれて自民党から出馬した男性の奮戦記。ドライな今どきの40歳が、妻をわざわざ「家内」と呼び、たすきをかけて神輿をかつぐ。ドイツでの上映では爆笑も起きたとか。
草の根保守の本質がわかる。子どもの頃から私を悩ませてきた、非合理と理不尽のスパイラル。でも、それを否定しては成り立たないのが選挙だ。現実の厚い壁の前に、舶来の近代合理主義は負けつづけてきた。土着の民主主義をどう構築するかは明治以来の課題だ。私たちはそろそろ、本気でこの問題に決着をつけなくてはならない。
2007年05月24日
「パッチギ! LOVE&PEACE」民族を超えた戦後日本の物語
★「考えさせる」「元気がわく」「役に立つ」「視野が広がる」「楽しめる」
とにかくパワフルな映画である。最近の日本映画は、極小の世界で「友人や家族や好きな人に気持ちが通じるかどうか」、「自分は独りぼっちではないのか」という繊細な問題を扱うか、後はテレビ映画をそのままスクリーンに移したような作品が主流。そういう中にあって異彩を放っている井筒監督の、そしてシネカノンの最新作である。
前作「パッチギ!」は基本、女性には苦手な乱闘シーンたっぷりの青春ケンカ映画だった。でもその中に、状況の不条理さをケンカで解消するしかない朝鮮高校生たちの体当たりの日々と、大状況とは違うところで彼らと友情を結ぶ日本の高校生の、切なくて前向きの青春像を描き出した。その周囲に、社会の現実にあらがおうとする志を持った大人がいるところが秀逸だった。
この続編をどうつくるのか。大注目の中で公開されたこの映画が、また痛快の一語なのだ。舞台は1974年、高度経済成長を終えたオイルショック後の東京。整い始めた社会システムの中で、今なお居場所を見いだせない在日の若者達の焦りと未来への希望を、70年代の濃厚な雰囲気と共に伝えている。
今回彼らと友情を結ぶのは、高度成長とは無縁の子供時代を過ごした旧国鉄職員だ。彼もまた、豊かさから取り残された層だった。そして、孫が病に苦しむのは自分が白蛇を殺したせいだと悔やみ、多額の金を払ってお祓いを頼む一世の祖母。日本社会に居場所を見つけようとする二世は、情は厚いがこういう親と日本社会の現実とのはざまで、呻吟するしかなかった。
しかし、この映画は単に朝鮮半島出身者の苦労話ではない。彼らを通して、そして彼らと交わる日本人を通して、戦後日本を描いた物語なのである。細部が丁寧に描き込まれ、各所で笑いを誘う。70年安保をめぐる最後の政治闘争が終わり、長髪と(当時はベルボトムと言った)ブーツカットパンツがはやり、なぜか佐藤首相がノーベル平和賞を受賞した、ギャグのような時代だった。
また前作の時も感じたのだが、朝鮮の言葉と日本語が入り交じる会話がとても面白いのである。私の母は奄美大島の出身で、会話の中によく島の言葉が出てきた。叔父と話す時は母が島の言葉、叔父が東京の言葉で話していた。
実は全国津々浦々で東京の言葉が話されるようになったのは、そんな昔のことではない。こういう多言語生活は普通だったのである。言語を統一するというのは経済と効率に関わる問題であって、東京弁どころか世界が英語圏になりつつある今日この頃。コミュニケーションが容易になることと引き換えに、失われるものも大きい。
ところで、この映画の隠れた主役はアンソン、キョンジャ兄妹の亡き父である。1924年、日本統治下の済州(チェジュ)島に生まれた父は、日本軍による徴兵から逃れ、太平洋の島に逃げる。このヤップ島における皇民化教育の様子は衝撃的だ。島の子供達は鳥居に向かって頭を下げる。幻の大東亜共栄圏がそこにある。
2007年日本映画 監督:井筒和幸 配給:シネカノン
とにかくパワフルな映画である。最近の日本映画は、極小の世界で「友人や家族や好きな人に気持ちが通じるかどうか」、「自分は独りぼっちではないのか」という繊細な問題を扱うか、後はテレビ映画をそのままスクリーンに移したような作品が主流。そういう中にあって異彩を放っている井筒監督の、そしてシネカノンの最新作である。
前作「パッチギ!」は基本、女性には苦手な乱闘シーンたっぷりの青春ケンカ映画だった。でもその中に、状況の不条理さをケンカで解消するしかない朝鮮高校生たちの体当たりの日々と、大状況とは違うところで彼らと友情を結ぶ日本の高校生の、切なくて前向きの青春像を描き出した。その周囲に、社会の現実にあらがおうとする志を持った大人がいるところが秀逸だった。
この続編をどうつくるのか。大注目の中で公開されたこの映画が、また痛快の一語なのだ。舞台は1974年、高度経済成長を終えたオイルショック後の東京。整い始めた社会システムの中で、今なお居場所を見いだせない在日の若者達の焦りと未来への希望を、70年代の濃厚な雰囲気と共に伝えている。
今回彼らと友情を結ぶのは、高度成長とは無縁の子供時代を過ごした旧国鉄職員だ。彼もまた、豊かさから取り残された層だった。そして、孫が病に苦しむのは自分が白蛇を殺したせいだと悔やみ、多額の金を払ってお祓いを頼む一世の祖母。日本社会に居場所を見つけようとする二世は、情は厚いがこういう親と日本社会の現実とのはざまで、呻吟するしかなかった。
しかし、この映画は単に朝鮮半島出身者の苦労話ではない。彼らを通して、そして彼らと交わる日本人を通して、戦後日本を描いた物語なのである。細部が丁寧に描き込まれ、各所で笑いを誘う。70年安保をめぐる最後の政治闘争が終わり、長髪と(当時はベルボトムと言った)ブーツカットパンツがはやり、なぜか佐藤首相がノーベル平和賞を受賞した、ギャグのような時代だった。
また前作の時も感じたのだが、朝鮮の言葉と日本語が入り交じる会話がとても面白いのである。私の母は奄美大島の出身で、会話の中によく島の言葉が出てきた。叔父と話す時は母が島の言葉、叔父が東京の言葉で話していた。
実は全国津々浦々で東京の言葉が話されるようになったのは、そんな昔のことではない。こういう多言語生活は普通だったのである。言語を統一するというのは経済と効率に関わる問題であって、東京弁どころか世界が英語圏になりつつある今日この頃。コミュニケーションが容易になることと引き換えに、失われるものも大きい。
ところで、この映画の隠れた主役はアンソン、キョンジャ兄妹の亡き父である。1924年、日本統治下の済州(チェジュ)島に生まれた父は、日本軍による徴兵から逃れ、太平洋の島に逃げる。このヤップ島における皇民化教育の様子は衝撃的だ。島の子供達は鳥居に向かって頭を下げる。幻の大東亜共栄圏がそこにある。
2007年日本映画 監督:井筒和幸 配給:シネカノン
2007年04月01日
「鉄人28号 白昼の残月」昭和を生きた全ての人へ
「考えさせる」「役に立つ」「視野が広がる」「楽しめる」
「鉄人28号」は私が子供の頃、絶大な人気を誇っていたマンガだ。男の子はみんな読んでいた。私もテレビのアニメは時々観ていた。大学生の時、同級の男子学生に大ファンがいて、鉄人28号の最後について熱弁を振るっていたのを思い出す。
で、今回どうして観ようと思ったかというと、オフィシャルサイトを観たとたんにスイッチが入ったのである。そうとしか言いようがない。私の中に生きていた昭和が甦ったのだ。
今川泰宏という監督によるリメーク作品。どうかなと思って観たら、これがすごく面白いのだ。この監督は一部のアニメ・ファンの間で絶大な人気があり、原作クラッシャーと呼ばれているというが、納得だ。ただのリメークではない。まさに「現代に甦った」という言葉がぴったり。
戦後復興へ向かう日本に、生き残った元特攻隊員が亡霊のように現れる。本土防衛の幻が生み出した廃墟爆弾は、日本人の復興の夢を打ち砕き、忘れたい過去に引き戻そうとするかのようだ。そんな脆い戦後を終わらせるために、元特攻隊員が取った行動とは・・・。
鉄人28号の最後は悲しい。それは日本の戦後復興と高度成長が、多くの犠牲の上に築かれたことを改めて思い起こさせる。ロボットアニメは今川泰宏という才能を得て、戦後日本のアイデンティティーを問うところまで来た。細部までこだわったレトロなつくりも絶妙だ。
思わずスイッチが入ってしまうオフィシャルサイトはこちら
http://www.tetsujin28-movie.com/
監督:今川泰宏 2005年:日本映画 配給:日活
「鉄人28号」は私が子供の頃、絶大な人気を誇っていたマンガだ。男の子はみんな読んでいた。私もテレビのアニメは時々観ていた。大学生の時、同級の男子学生に大ファンがいて、鉄人28号の最後について熱弁を振るっていたのを思い出す。
で、今回どうして観ようと思ったかというと、オフィシャルサイトを観たとたんにスイッチが入ったのである。そうとしか言いようがない。私の中に生きていた昭和が甦ったのだ。
今川泰宏という監督によるリメーク作品。どうかなと思って観たら、これがすごく面白いのだ。この監督は一部のアニメ・ファンの間で絶大な人気があり、原作クラッシャーと呼ばれているというが、納得だ。ただのリメークではない。まさに「現代に甦った」という言葉がぴったり。
戦後復興へ向かう日本に、生き残った元特攻隊員が亡霊のように現れる。本土防衛の幻が生み出した廃墟爆弾は、日本人の復興の夢を打ち砕き、忘れたい過去に引き戻そうとするかのようだ。そんな脆い戦後を終わらせるために、元特攻隊員が取った行動とは・・・。
鉄人28号の最後は悲しい。それは日本の戦後復興と高度成長が、多くの犠牲の上に築かれたことを改めて思い起こさせる。ロボットアニメは今川泰宏という才能を得て、戦後日本のアイデンティティーを問うところまで来た。細部までこだわったレトロなつくりも絶妙だ。
思わずスイッチが入ってしまうオフィシャルサイトはこちら
http://www.tetsujin28-movie.com/
監督:今川泰宏 2005年:日本映画 配給:日活
2007年02月20日
「ありがとう 〜奈緒ちゃん 自立への25年」マイナスをプラスに変えていく家族のあり方
☆ このブログでは、映画のお薦め度をキーワードで示しています。
キーワードは「考えさせる」「元気がわく」「役に立つ」「視野が 広がる」「楽しめる」です。
「考えさせる」「視野が広がる」
重度のてんかんと知的障がいをおった奈緒ちゃんと家族の二十五年――と言うとなにやら重そうだが、そんなことはなく家族の普遍的なあり方が描かれている秀作だというのが観終わった率直な感想。チラシに書かれている通り、たしかに障がい者である奈緒ちゃんは人一倍家族に育まれ守られてきたが、お父さん、お母さん、弟もまた奈緒ちゃんによって人一倍育まれ守られてきたのだということが静かにじわじわ伝わってくる、そんな作品だ。
お母さんは、奈緒ちゃんがいたことによって地域の障がい者施設「ぴぐれっと」を設立し、中心となってこの施設を運営する。あかるくやさしい「良妻賢母」タイプのこのお母さんは、たぶん「ふつう」の子が生まれていたら平凡な専業主婦人生を送っていただろう。
お父さんは、それまでかかわりのなかったであろう障がい者、地域の人とかかわっていかざるをえなくなった。妻に毎朝、靴磨きをさせるくらいの「亭主関白」タイプのこのお父さんは、たぶん奈緒ちゃんがいなかったら企業戦士としての人生を送ったあと、定年後に熟年離婚を切り出されていたに違いない(失礼!)。
「福祉の仕事はしたくない」と言っていたサッカー好きの弟は、いまや「ぴぐれっと」の中心的メンバーとなった。奈緒ちゃんという障がい者を姉に持つことによって、家族として、職員として、ハンデのある人たちをとてもうまくサポートしている。
明るく元気な奈緒ちゃんも三十歳を過ぎ、グループホームでの自活生活を送ることになった。娘の自立を前にして、お父さん、お母さん、弟もそれぞれの人生を考え始める――。
問題のない家族などありえないが、その問題の向き合い方ひとつで、幸せにも不幸にもなる。マイナスをプラスに変えていく家族のあり方を考えさせられた、静かな感動を味わえる映画だった。2006年 日本 監督伊勢真一(くまこ)
キーワードは「考えさせる」「元気がわく」「役に立つ」「視野が 広がる」「楽しめる」です。
「考えさせる」「視野が広がる」
重度のてんかんと知的障がいをおった奈緒ちゃんと家族の二十五年――と言うとなにやら重そうだが、そんなことはなく家族の普遍的なあり方が描かれている秀作だというのが観終わった率直な感想。チラシに書かれている通り、たしかに障がい者である奈緒ちゃんは人一倍家族に育まれ守られてきたが、お父さん、お母さん、弟もまた奈緒ちゃんによって人一倍育まれ守られてきたのだということが静かにじわじわ伝わってくる、そんな作品だ。
お母さんは、奈緒ちゃんがいたことによって地域の障がい者施設「ぴぐれっと」を設立し、中心となってこの施設を運営する。あかるくやさしい「良妻賢母」タイプのこのお母さんは、たぶん「ふつう」の子が生まれていたら平凡な専業主婦人生を送っていただろう。
お父さんは、それまでかかわりのなかったであろう障がい者、地域の人とかかわっていかざるをえなくなった。妻に毎朝、靴磨きをさせるくらいの「亭主関白」タイプのこのお父さんは、たぶん奈緒ちゃんがいなかったら企業戦士としての人生を送ったあと、定年後に熟年離婚を切り出されていたに違いない(失礼!)。
「福祉の仕事はしたくない」と言っていたサッカー好きの弟は、いまや「ぴぐれっと」の中心的メンバーとなった。奈緒ちゃんという障がい者を姉に持つことによって、家族として、職員として、ハンデのある人たちをとてもうまくサポートしている。
明るく元気な奈緒ちゃんも三十歳を過ぎ、グループホームでの自活生活を送ることになった。娘の自立を前にして、お父さん、お母さん、弟もそれぞれの人生を考え始める――。
問題のない家族などありえないが、その問題の向き合い方ひとつで、幸せにも不幸にもなる。マイナスをプラスに変えていく家族のあり方を考えさせられた、静かな感動を味わえる映画だった。2006年 日本 監督伊勢真一(くまこ)
2007年01月13日
「鉄コン筋クリート」あんし〜ん!
「考えさせる」
松本大洋のマンガ「鉄コン筋クリート」は、1933年から34年にかけて描かれた。私は今回アニメを観て初めて内容を知ったのだが、こんなにタイムリーな物語だったとは。館内を埋め尽くした若者たちは、どういう感想を持っただろうか。
いつの時代の話なのかはわからない。娘は未来だというが(そのようにも見えるが)、明らかに昭和である。開発によって子どもをめぐる環境が変わる瞬間を背景にしている点からも、これは明白だ。
親がいない、従って子どもが当然受けるはずの保護からも愛情からも「安全と安心」からも放り出された少年、クロ。どこか心のネジがはずれたような、でも純粋な年下のシロを守ることで、クロは自分を支えている。
廃車の中で暮らし、周囲に牙を剥き、過酷な環境を暴力で跳ね返す。それがクロが身を守り、シロと生きていくために身につけた術なのである。
クロの住む宝町は、無国籍アジア的昭和の街だ。しかし、元警察官の人情ヤクザが仕切っていたこの宝町にも、時代の波が押し寄せる。ビジネス志向の新世代暴力団が進出、地上げによって古い街並は壊され、明るく近代的な子どもランドがオープンするのである。
クロに守られたシロの口癖は「あんし〜ん」。一番「安全・安心」から遠い存在である少年がこの言葉を口にするのは、皮肉という他はない。一方、セキュリティー・システムに守られた今の子どもたちは幸せなのだろうか。
日本に定住したアメリカ人の初監督作品であるところにも、時代が反映されていて興味深い。
監督:マイケル・アリアス 配給:アスミック・エース 2006年 日本映画
松本大洋のマンガ「鉄コン筋クリート」は、1933年から34年にかけて描かれた。私は今回アニメを観て初めて内容を知ったのだが、こんなにタイムリーな物語だったとは。館内を埋め尽くした若者たちは、どういう感想を持っただろうか。
いつの時代の話なのかはわからない。娘は未来だというが(そのようにも見えるが)、明らかに昭和である。開発によって子どもをめぐる環境が変わる瞬間を背景にしている点からも、これは明白だ。
親がいない、従って子どもが当然受けるはずの保護からも愛情からも「安全と安心」からも放り出された少年、クロ。どこか心のネジがはずれたような、でも純粋な年下のシロを守ることで、クロは自分を支えている。
廃車の中で暮らし、周囲に牙を剥き、過酷な環境を暴力で跳ね返す。それがクロが身を守り、シロと生きていくために身につけた術なのである。
クロの住む宝町は、無国籍アジア的昭和の街だ。しかし、元警察官の人情ヤクザが仕切っていたこの宝町にも、時代の波が押し寄せる。ビジネス志向の新世代暴力団が進出、地上げによって古い街並は壊され、明るく近代的な子どもランドがオープンするのである。
クロに守られたシロの口癖は「あんし〜ん」。一番「安全・安心」から遠い存在である少年がこの言葉を口にするのは、皮肉という他はない。一方、セキュリティー・システムに守られた今の子どもたちは幸せなのだろうか。
日本に定住したアメリカ人の初監督作品であるところにも、時代が反映されていて興味深い。
監督:マイケル・アリアス 配給:アスミック・エース 2006年 日本映画
「パプリカ」悪夢のような現実
私が今敏(こん・さとし)のファンになったのは、2003年製作の「東京ゴッドファーザーズ」を観てからである。成り行きでホームレスになった三人が、クリスマスの夜に赤ちゃんを拾い、親を捜しに行く物語だった。アカデミー賞長編アニメーション賞の候補作になった。
独特の、リアリズムあふれる作画。人物には体温が感じられ、街の描写も見事である。見慣れた新宿が新鮮に見えた。その今敏の新作が「パプリカ」。筒井康隆のSF小説が原作である。
サイコセラピーのために開発された最新治療機器、DCミニが盗まれる。この機器は頭部に装着すると、互いの夢が共有できるのである。しかし、悪用されれば人格が破壊され、精神のバランスが崩れてしまうのだ。そして恐れは現実となっていく。
夢の中に悪意を持った他者が侵入してくるという、まさに悪夢のような物語。しかし驚いたことに、観ていてあまり違和感を感じないのだ。それは私たちが今、悪夢のような現実を見ているからだろうか。
テンポのいい音楽に乗せて、眼前に繰り広げられる悪夢は絢爛豪華。現実が色褪せて見えるほどである。今、ネットではYouTubeが大人気。世界中が瞬時にして映像を共有できるようになった。フセイン大統領処刑の映像も、無造作に日常に入り込んでくる。夢の共有と相互侵入は現実のものとなりつつある。
監督:今敏 配給:ソニーピクチャーズ 2006年 日本映画
独特の、リアリズムあふれる作画。人物には体温が感じられ、街の描写も見事である。見慣れた新宿が新鮮に見えた。その今敏の新作が「パプリカ」。筒井康隆のSF小説が原作である。
サイコセラピーのために開発された最新治療機器、DCミニが盗まれる。この機器は頭部に装着すると、互いの夢が共有できるのである。しかし、悪用されれば人格が破壊され、精神のバランスが崩れてしまうのだ。そして恐れは現実となっていく。
夢の中に悪意を持った他者が侵入してくるという、まさに悪夢のような物語。しかし驚いたことに、観ていてあまり違和感を感じないのだ。それは私たちが今、悪夢のような現実を見ているからだろうか。
テンポのいい音楽に乗せて、眼前に繰り広げられる悪夢は絢爛豪華。現実が色褪せて見えるほどである。今、ネットではYouTubeが大人気。世界中が瞬時にして映像を共有できるようになった。フセイン大統領処刑の映像も、無造作に日常に入り込んでくる。夢の共有と相互侵入は現実のものとなりつつある。
監督:今敏 配給:ソニーピクチャーズ 2006年 日本映画
2006年11月03日
「出口のない海」 海の特攻「回天」の悲劇
夏の終わりに公開された「出口のない海」。「亡国のイージス」や「男たちのYAMATO」の系列、三番煎じのような印象を受けた人が多かったのではないでしょうか。それが全く違うんですよ!
人間魚雷「回天」に志願した若者たちの物語です。特攻隊というと神風特別攻撃隊が有名ですが、回天は海の特攻。直径1メートルほどの魚雷の中に人が乗って、敵艦に体当たりするものです。一度入ったら脱出は不可能ですから、はずれてもそのまま艦内で死を待つだけです。よくまぁ、こういうことを考えたものですねぇ・・・。
1944(昭和19)年8月、正式に兵器として採用されました。こういうことを考えるようになったらおしまい。しかし、そういう常識的な発想ができなくなっていたのです。まぁ、日清戦争以来の大日本主義=アジア侵略が既に、道を踏み外した非常識な行為だったわけですが、その歪みがここに極まったというべきでしょうか。
国家が個人を圧殺する天皇制イデオロギーの中で、本来なら知的な人間たちも、苦しみながらその論理を肯定していきました。「愛する家族、愛する郷土を守るため」という論理です。そう考えることによって、自分の犠牲を意味あるものにするしかなかったともいえるでしょう。
しかし、その「国」の実体は「愛する者たちの延長で」はなく、国民を犠牲にして、一部の権力者たちと軍需産業が生き残ろうとする仕組みでしかなかったのです。これが国家と戦争との関係です。愛国心は常に、その現実を隠蔽するためのトリックとして使われます。
こういう言い方も変ですが、いい映画でした。観客は中高年の男性ばかりかと思っていたけれど、けっこう若者もいました。市川海老蔵や伊勢谷友介らが出ているせいかも。「悲惨さを正確に伝えていない」という意見もあるでしょうが、今はこういう感じじゃないと誰も観に来ないのでしょう。
有名な、神宮球場での学徒出陣壮行会に参加した後の若者たちの様子、「君は敵の姿を見たことがあるか」と問いかける父との対話など、否応なく時代に巻き込まれていった人々の生き方を内側からたどっています。「カーテンコール」の佐々部清監督ならでは。
人間魚雷「回天」に志願した若者たちの物語です。特攻隊というと神風特別攻撃隊が有名ですが、回天は海の特攻。直径1メートルほどの魚雷の中に人が乗って、敵艦に体当たりするものです。一度入ったら脱出は不可能ですから、はずれてもそのまま艦内で死を待つだけです。よくまぁ、こういうことを考えたものですねぇ・・・。
1944(昭和19)年8月、正式に兵器として採用されました。こういうことを考えるようになったらおしまい。しかし、そういう常識的な発想ができなくなっていたのです。まぁ、日清戦争以来の大日本主義=アジア侵略が既に、道を踏み外した非常識な行為だったわけですが、その歪みがここに極まったというべきでしょうか。
国家が個人を圧殺する天皇制イデオロギーの中で、本来なら知的な人間たちも、苦しみながらその論理を肯定していきました。「愛する家族、愛する郷土を守るため」という論理です。そう考えることによって、自分の犠牲を意味あるものにするしかなかったともいえるでしょう。
しかし、その「国」の実体は「愛する者たちの延長で」はなく、国民を犠牲にして、一部の権力者たちと軍需産業が生き残ろうとする仕組みでしかなかったのです。これが国家と戦争との関係です。愛国心は常に、その現実を隠蔽するためのトリックとして使われます。
こういう言い方も変ですが、いい映画でした。観客は中高年の男性ばかりかと思っていたけれど、けっこう若者もいました。市川海老蔵や伊勢谷友介らが出ているせいかも。「悲惨さを正確に伝えていない」という意見もあるでしょうが、今はこういう感じじゃないと誰も観に来ないのでしょう。
有名な、神宮球場での学徒出陣壮行会に参加した後の若者たちの様子、「君は敵の姿を見たことがあるか」と問いかける父との対話など、否応なく時代に巻き込まれていった人々の生き方を内側からたどっています。「カーテンコール」の佐々部清監督ならでは。
2006年10月29日
「地下鉄(メトロ)に乗って」 大東亜共栄圏という誇大妄想
東京メトロの各駅にポスターが貼ってある「地下鉄(メトロ)に乗って」。浅田次郎の原作を映画化するには、監督の力量が今一つという感じですが、まぁまぁ楽しめます。
地下鉄に乗って、主人公は歴史をどんどん過去に遡ります。 そして、満州(今の中国、東北地方)に出征した父の姿を見るのです。 1945(昭和20)年8月9日に、旧ソ連が国境を越えて侵攻してきた時、 関東軍(満州を守っていた日本軍)は民間人を見捨てて、我れ先に逃げ出しました。
しかし、主人公の父は一人残って奮闘します。 そして体を張って民間人を守りながら、こう叫ぶのです。 「何が満州国だ! 俺はもう何も信じないぞ〜っ!」
満州国は1932(昭和7)年、日本が立てた傀儡政権です。「五族協和」「王道楽土」の美しいスローガンに誘われていった満州で日本人が見たものは、日本の山河とは異質な過酷な自然と、土地を奪われた中国人の敵意でした(当然ですが)。
そこには人工的で不安定な日本が、楼閣のように漂っていただけだったのです。民族は決して協和することはなく、多く人が幻滅しました。それが北方の新天地、大満州国の実態でした。 大東亜共栄圏は島国日本が抱いた誇大妄想。日本はアジアに出ていく方法論を間違えたのです。
今、歴史を知らない若者たちが、再び大東亜共栄圏という誇大妄想で自己防衛しようとしています。植民者があの時に感じた幻滅と違和感が、伝わっていないんですね。「大東亜共栄圏は侵略のイデオロギーだった」という正論だけでは、歴史の真実は伝わらないんですよね。う〜ん、難しい。
主人公の父は、満州から九死に一生を得て生還。戦後の混乱期を逞しく生き抜き、衣料品会社を興します。汚い手を使ってのし上がってきた、主人公が嫌いに嫌った父は、時代に翻弄された一人の日本人だったのです。エキストラとセットで再現された昭和39年の、そして戦後の東京は一見の価値あり。
監督:篠原哲男 配給:ギャガ、松竹 2006年:日本映画
2006年10月10日
「カーテンコール」 昭和はどういう時代だったか
昭和30年代から40年代の日本に起きた大きな社会現象の一つに、テレビの普及による映画産業の衰退があります。1959(昭和34)年に皇太子(現天皇)が美智子さんと結婚。そのパレードを見ようと、人々は争ってテレビを買いました。
娯楽の王者だった映画は、テレビにその座を明け渡しました。私の記憶でも、子どもの頃は人気のある映画はいつも満員で、下手すると立ち見を覚悟しなければならなかったのが、いつのまにか楽に見られるようになりましたから。
時は昭和30年代の半ば。つまり1960年代の初め。山口県下関市のある映画館では、幕間に形態模写をしたり歌ったりする芸人がいました。しかし、観客の減少と共にその人の出番もなくなっていったのです。
時代が変わるとは、こういうことなんですよね。日本の高度成長は生活を豊かにした反面、様々なものを置き去りにしてきました。今もマスコミで新商品が華やかに取り上げられる一方で、生活の基盤を失いつつある人がいるはずです。
この映画は「ALWAYS 三丁目の夕日」とほぼ同時期に公開されたため、損をしたようです。「三丁目の夕日」は原作が大人気コミックだし、温かくて癒される優しい昭和があふれていますから。昭和を生きた世代は、今さら悲しい昭和は観たくないかもしれません・・・。
もう一点、「カーテンコール」は戦後日本の風景の中に在日コリアンを位置づけているという点で、注目に値します。誰もが豊かさに向かってばく進していた時代、在日コリアンがどういう人生を生きていたか。これを知ることによって、日本人の戦後史への視野が広がることでしょう。
「チルソクの夏」でもそうでしたが、佐々部清監督は生まれ育った下関に多い在日コリアンとの交流を、意識して描いています。私はそこに、自身の根っこに対するこだわりと世代的責任感を感じます。社会性と大衆性を併せもつ爽やかな物語の作り手として、一層の活躍を願っています。
監督:佐々部清 配給:キュービカル・エンタテインメント 2004年
娯楽の王者だった映画は、テレビにその座を明け渡しました。私の記憶でも、子どもの頃は人気のある映画はいつも満員で、下手すると立ち見を覚悟しなければならなかったのが、いつのまにか楽に見られるようになりましたから。
時は昭和30年代の半ば。つまり1960年代の初め。山口県下関市のある映画館では、幕間に形態模写をしたり歌ったりする芸人がいました。しかし、観客の減少と共にその人の出番もなくなっていったのです。
時代が変わるとは、こういうことなんですよね。日本の高度成長は生活を豊かにした反面、様々なものを置き去りにしてきました。今もマスコミで新商品が華やかに取り上げられる一方で、生活の基盤を失いつつある人がいるはずです。
この映画は「ALWAYS 三丁目の夕日」とほぼ同時期に公開されたため、損をしたようです。「三丁目の夕日」は原作が大人気コミックだし、温かくて癒される優しい昭和があふれていますから。昭和を生きた世代は、今さら悲しい昭和は観たくないかもしれません・・・。
もう一点、「カーテンコール」は戦後日本の風景の中に在日コリアンを位置づけているという点で、注目に値します。誰もが豊かさに向かってばく進していた時代、在日コリアンがどういう人生を生きていたか。これを知ることによって、日本人の戦後史への視野が広がることでしょう。
「チルソクの夏」でもそうでしたが、佐々部清監督は生まれ育った下関に多い在日コリアンとの交流を、意識して描いています。私はそこに、自身の根っこに対するこだわりと世代的責任感を感じます。社会性と大衆性を併せもつ爽やかな物語の作り手として、一層の活躍を願っています。
監督:佐々部清 配給:キュービカル・エンタテインメント 2004年
2006年10月02日
「ゲド戦記」 不安におののく日本人へのメッセージ
宮崎アニメは日本の戦後史を背負っています。宮崎アニメは日本の戦後史を踏まえた上で、今という時代と向き合う物語なのです。戦後を行きてきた日本人ならではの歴史観に支えられているからこそ、老若男女の境界を超えて、宮崎アニメは「何かが心に残る作品」という評価を確立したわけです。
マーケティングの力だけで、こういう商品をつくることはできません。前作「ハウルの動く城」では、「戦争に勝ち負けはない。戦争は悲惨なんだ」という、常識的に考えれば当然の、しかし何か大きな力に遠慮して誰も言わなくなっていた言葉を、ハウルに言わせていました。
悲惨な侵略戦争と原爆投下を経験した日本人が、まさに言うべきことを言う。これが宮崎アニメなのです。対テロ戦争に対して、あれだけはっきりと抗議した映画は、他にありませんでした。
つまりジブリのブランド力とは、日本ならではのメッセージ力を意味します。それは宮崎駿の世代的経験に裏づけられたものでした。そこで問題になるのが、永久に生きるわけではない宮崎駿の後継者問題。それを乗り越えようとしたのが「ゲド戦記」です。
しかし、御大の息子が監督ということで、「ジブリも世襲か」という反感を生む結果になりました。一方で、ほぼ世襲議員で占められている政界に対しては疑問を持たず、「名門」扱いしたりしているのですから、日本人の感覚も矛盾していますが。
ジブリの場合、御大の意見をはね返せる人間が、他にいないのでしょう。カリスマとは難しいものです。ジブリは宮崎駿を超えて、アイデンティティを確立できるでしょうか。
そういう問題を一応横に置いて、純粋にアニメとして観た場合、「ゲド戦記」はなかなか楽しめます。全体に重厚で音楽もいい。映像の美しさはいつもの通りです。言いたいことを言葉で伝えているところが難点ですが、今という時代と格闘しているのがよくわかります。ハイタカの次の言葉には、思わず落涙してしまいました。「我々が今手にしているものは全て、やがて失われるものばかりだ」。
「ゲド戦記」は、正体不明の不安におののく今の日本人に、何かを伝えようとしています。時代と格闘しようという志がある限り、紆余曲折を経ながらも、ジブリはジブリであり続けるでしょう。
それと、批判というものは本来、前向きで生産的な作業であるはずです。この作品に対して一部に悪意を持った誹謗中傷が渦巻いているのを、私は情けなく思っています。
制作:スタジオジブリ 監督:宮崎吾郎 2006年
マーケティングの力だけで、こういう商品をつくることはできません。前作「ハウルの動く城」では、「戦争に勝ち負けはない。戦争は悲惨なんだ」という、常識的に考えれば当然の、しかし何か大きな力に遠慮して誰も言わなくなっていた言葉を、ハウルに言わせていました。
悲惨な侵略戦争と原爆投下を経験した日本人が、まさに言うべきことを言う。これが宮崎アニメなのです。対テロ戦争に対して、あれだけはっきりと抗議した映画は、他にありませんでした。
つまりジブリのブランド力とは、日本ならではのメッセージ力を意味します。それは宮崎駿の世代的経験に裏づけられたものでした。そこで問題になるのが、永久に生きるわけではない宮崎駿の後継者問題。それを乗り越えようとしたのが「ゲド戦記」です。
しかし、御大の息子が監督ということで、「ジブリも世襲か」という反感を生む結果になりました。一方で、ほぼ世襲議員で占められている政界に対しては疑問を持たず、「名門」扱いしたりしているのですから、日本人の感覚も矛盾していますが。
ジブリの場合、御大の意見をはね返せる人間が、他にいないのでしょう。カリスマとは難しいものです。ジブリは宮崎駿を超えて、アイデンティティを確立できるでしょうか。
そういう問題を一応横に置いて、純粋にアニメとして観た場合、「ゲド戦記」はなかなか楽しめます。全体に重厚で音楽もいい。映像の美しさはいつもの通りです。言いたいことを言葉で伝えているところが難点ですが、今という時代と格闘しているのがよくわかります。ハイタカの次の言葉には、思わず落涙してしまいました。「我々が今手にしているものは全て、やがて失われるものばかりだ」。
「ゲド戦記」は、正体不明の不安におののく今の日本人に、何かを伝えようとしています。時代と格闘しようという志がある限り、紆余曲折を経ながらも、ジブリはジブリであり続けるでしょう。
それと、批判というものは本来、前向きで生産的な作業であるはずです。この作品に対して一部に悪意を持った誹謗中傷が渦巻いているのを、私は情けなく思っています。
制作:スタジオジブリ 監督:宮崎吾郎 2006年
2006年10月01日
「蟻の兵隊」 元日本兵が語る侵略戦争の真実
アジア太平洋戦争終結から61年。日本人にとって、かつてアジアを侵略したという過去は記憶のかなたに薄れつつあります。でも、61年で過去を忘れるのは早過ぎます。まだ人ひとりの一生が終わっていない期間ですから。
「蟻の兵隊」は、山西省残留元日本兵、奥村和一さんの行動を追ったドキュメンタリーです。奥村さんは1945年(昭和20年)8月15日、中国山西省で敗戦を迎えますが、上官が国民党の幹部と取引。一部を武装解除せずに現地に残し、自分だけ日本に帰ってしまいます。戦犯として裁かれるのを免れるためです。
日本が無条件降伏した後、中国では国民党と共産党との内戦が始まります。「大日本帝国復活のため」という命令で残った奥村さんは四年間、国共内戦に参加し、さらに捕虜として五年過ごします。しかし、国は自主的に残ったとして責任を認めません。
奥村さんは証拠を探しに山西省に行き、自分が初めて中国人を殺した場所にも行きます。当時、捕えた中国人を銃剣で刺殺させる行為は、正規の「教育訓練」でした。旅団長が命令し、大隊長が見守る中で行なわれたのです。初年兵はへっぴり腰で恐る恐る刺すのでなかなか死なず、上官に怒鳴られながら順番に刺し続けたそうです。
過去を語る奥村さんの顔が歪みます。中国戦線での出来事は、奥さんにも話していないとのこと。しかし、そんな奥村さんが、その場から逃げ出した中国人の息子さんと話している時に、恐ろしい日本兵の顔に戻るんですよ。ここがすごい! 私は正視できませんでした。
正視できないと言えば、靖国神社でスピーチし、拍手を受けるルバング島残留三十年の小野田寛郎さんに、奥村さんが「侵略戦争の美化ですか」と問いかける場面があります。それに反論する小野田さんの鬼のような形相! こういう人だったのかと驚きます。
「我々はどうして、あの侵略戦争に参加しなければならなかったのか。戦友はどうして、中国で死ななければならなかったのか」。奥村さんの言葉が重く響きます。なお、奥村さんが靖国神社に参拝しない理由はこうです。「戦争に駆り出された兵隊が死んで神になるなんて、そんなごまかしは許さない」。
香港国際映画祭 人道に関する優秀映画賞受賞 制作:蓮ユニバース 監督:池谷薫 2005年
「蟻の兵隊」は、山西省残留元日本兵、奥村和一さんの行動を追ったドキュメンタリーです。奥村さんは1945年(昭和20年)8月15日、中国山西省で敗戦を迎えますが、上官が国民党の幹部と取引。一部を武装解除せずに現地に残し、自分だけ日本に帰ってしまいます。戦犯として裁かれるのを免れるためです。
日本が無条件降伏した後、中国では国民党と共産党との内戦が始まります。「大日本帝国復活のため」という命令で残った奥村さんは四年間、国共内戦に参加し、さらに捕虜として五年過ごします。しかし、国は自主的に残ったとして責任を認めません。
奥村さんは証拠を探しに山西省に行き、自分が初めて中国人を殺した場所にも行きます。当時、捕えた中国人を銃剣で刺殺させる行為は、正規の「教育訓練」でした。旅団長が命令し、大隊長が見守る中で行なわれたのです。初年兵はへっぴり腰で恐る恐る刺すのでなかなか死なず、上官に怒鳴られながら順番に刺し続けたそうです。
過去を語る奥村さんの顔が歪みます。中国戦線での出来事は、奥さんにも話していないとのこと。しかし、そんな奥村さんが、その場から逃げ出した中国人の息子さんと話している時に、恐ろしい日本兵の顔に戻るんですよ。ここがすごい! 私は正視できませんでした。
正視できないと言えば、靖国神社でスピーチし、拍手を受けるルバング島残留三十年の小野田寛郎さんに、奥村さんが「侵略戦争の美化ですか」と問いかける場面があります。それに反論する小野田さんの鬼のような形相! こういう人だったのかと驚きます。
「我々はどうして、あの侵略戦争に参加しなければならなかったのか。戦友はどうして、中国で死ななければならなかったのか」。奥村さんの言葉が重く響きます。なお、奥村さんが靖国神社に参拝しない理由はこうです。「戦争に駆り出された兵隊が死んで神になるなんて、そんなごまかしは許さない」。
香港国際映画祭 人道に関する優秀映画賞受賞 制作:蓮ユニバース 監督:池谷薫 2005年
「フラガール」次代を切り拓く女たちの痛快な物語
昭和40年(1965年)、つまり東京オリンピックの翌年、戦後復興を終えた日本は官民上げて、高度成長に向かって走り始めました。「アメリカに追い付き、追い越せ」というスローガンを掲げて。その影で、戦後復興を支えた石炭産業は傾いていったのです。かつて「黒いダイヤ」と呼ばれた石炭は、その歴史的役割を終えようとしていました。
福島県いわき市にあった常磐炭坑も、例外ではありませんでした。産業と社会を支えるエネルギー源は、石炭から石油へと交代していきます。炭坑は人員削減の連続。その先には閉山が待っていました。当時、人員削減のことを「合理化」と言っていました。今は「リストラ」。いずれにせよ、おかしな言葉ですよね。
そこで会社は、街にレジャー施設「常磐ハワイアンセンター」をつくる計画を立て、東京からダンサーを招きます。社会を支えてきた誇りと将来への不安との板ばさみになって、人々の心は揺れます。
街のため、そして自分自身の未来を切り拓くために、フラダンスに挑戦する娘たちの姿を、映画は生き生きと描いていきます。好奇の目で見られながら練習する娘たちも、それに反対する母親も、そして東京から教えにやってきたダンサーも、それぞれ社会の中で居場所が見つからず、生き方に悩んでいるのです。この一点で、「フラガール」は見事に「今」につながり、40年という歳月を超えた、世代と世代、時代と時代をつなぐ物語になりました。
「お母さんのような人生は嫌だ!」と言い放つ娘の気持ちも、そう言われて激怒し「出ていけ!」と怒鳴る母親の気持ちも、わかるような気がします。そんな母親が娘の生き方を理解し、自分もまた新しい時代の中に歩み出ようとする姿は胸に迫ります。
「フラガール」は、次代を切り拓こうとする女たちの、夢と意志と希望の物語。先端文化や恋愛を散りばめなくても、こんなに面白い映画ができるということを証明してみせたという意味で、近来の大収穫です。
それと・・・監督が在日コリアン三世だったことも、この映画が成功した要因の一つだったのではないでしょうか。三十歳過ぎの普通の日本人に、戦後が描けるとは思えません。高度成長を経た日本の家庭で、過去は忘れ去るものでしかありませんでしたから。
女優たちも、方言と汗と炭にまみれて大熱演。蒼井優もかわいいけれど、松雪泰子も「地」が出ていて面白いです。しかし何と言っても、最後に理解を示す母親役の富司純子が素晴らしい。
寺島しのぶの母親でもある彼女、実は独身時代、東映の人気任侠シリーズ「緋牡丹博徒」で、絶大な人気を誇った女優でした。次々に飛ぶ出す歯切れのいいセリフに、久々に「緋牡丹のお竜さん」の胸のすくようなタンカを思い出して痛快でした。「お竜」さんに熱狂した男性たちにも観てもらいたいです。
釜山国際映画祭オープニング作品 アカデミー外国語映画賞日本代表作品 制作:シネカノン 監督:李相日(リ・サンイル) 2006年
福島県いわき市にあった常磐炭坑も、例外ではありませんでした。産業と社会を支えるエネルギー源は、石炭から石油へと交代していきます。炭坑は人員削減の連続。その先には閉山が待っていました。当時、人員削減のことを「合理化」と言っていました。今は「リストラ」。いずれにせよ、おかしな言葉ですよね。
そこで会社は、街にレジャー施設「常磐ハワイアンセンター」をつくる計画を立て、東京からダンサーを招きます。社会を支えてきた誇りと将来への不安との板ばさみになって、人々の心は揺れます。
街のため、そして自分自身の未来を切り拓くために、フラダンスに挑戦する娘たちの姿を、映画は生き生きと描いていきます。好奇の目で見られながら練習する娘たちも、それに反対する母親も、そして東京から教えにやってきたダンサーも、それぞれ社会の中で居場所が見つからず、生き方に悩んでいるのです。この一点で、「フラガール」は見事に「今」につながり、40年という歳月を超えた、世代と世代、時代と時代をつなぐ物語になりました。
「お母さんのような人生は嫌だ!」と言い放つ娘の気持ちも、そう言われて激怒し「出ていけ!」と怒鳴る母親の気持ちも、わかるような気がします。そんな母親が娘の生き方を理解し、自分もまた新しい時代の中に歩み出ようとする姿は胸に迫ります。
「フラガール」は、次代を切り拓こうとする女たちの、夢と意志と希望の物語。先端文化や恋愛を散りばめなくても、こんなに面白い映画ができるということを証明してみせたという意味で、近来の大収穫です。
それと・・・監督が在日コリアン三世だったことも、この映画が成功した要因の一つだったのではないでしょうか。三十歳過ぎの普通の日本人に、戦後が描けるとは思えません。高度成長を経た日本の家庭で、過去は忘れ去るものでしかありませんでしたから。
女優たちも、方言と汗と炭にまみれて大熱演。蒼井優もかわいいけれど、松雪泰子も「地」が出ていて面白いです。しかし何と言っても、最後に理解を示す母親役の富司純子が素晴らしい。
寺島しのぶの母親でもある彼女、実は独身時代、東映の人気任侠シリーズ「緋牡丹博徒」で、絶大な人気を誇った女優でした。次々に飛ぶ出す歯切れのいいセリフに、久々に「緋牡丹のお竜さん」の胸のすくようなタンカを思い出して痛快でした。「お竜」さんに熱狂した男性たちにも観てもらいたいです。
釜山国際映画祭オープニング作品 アカデミー外国語映画賞日本代表作品 制作:シネカノン 監督:李相日(リ・サンイル) 2006年

