2007年12月17日

「サラエボの花」戦時性犯罪が残した傷は消えない

☆ 考えさせる 視野が広がる 

 東西冷戦終結後の90年代、バルカン半島には民族紛争の嵐が吹き荒れていた。そして我が家は連日、テレビの前で沈痛な思いに沈んでいた。水を汲みにいくために、どうしても通らなければならない道を命がけで走る人々を、周囲の山から対立勢力の民兵が銃撃する。その道はスナイパー通りと呼ばれていた。

 一人目を見つけて二人目で照準を合わせるから、三人目が危ない。繰り返しニュースを観ていて、そんなことに詳しくなってしまったのだ。目の前で繰り広げられる殺戮を止めることができない無力感に、重苦しい雰囲気が漂っていた。「Newsweek」で伝えられる惨状の詳しい描写が、さらに追い打ちをかけたのである。

 その後、同時多発テロと対テロ戦争、そしてイラク戦争と続いて、私の視野から少しずつ、それら民族紛争の記憶が消えていった。そんな時に、この映画が公開されたのである。いきなり記憶が甦った私は、友人を誘って観にいくことにした。
 
 戦争状態における組織的性犯罪を、ある母娘の関係を通して静かに語りかける。従軍慰安婦もそうだが、戦争は必ず性犯罪を伴う。性犯罪は暴力を肯定する戦争の本質に関わる問題なのだ。監督は、紛争当時10代だった33歳の女性。私たちとは体験が違う。

 映画を観て、やはりこういうことになっていたのかと、胸が詰まった。友人共々、涙、涙。ああ何て残酷な・・・。母が受けた傷は娘にも受け継がれ、社会もまた紛争の傷から立ち直れないでいる。人間は銃を持ったらおしまいだ。対立を生み出して民族紛争に仕立て上げ、権力奪取に利用した人間たちを、私は絶対に許すことができない。過去を曖昧にしようとしたって、そうはいかないのである。

 最後にひとこと、この邦題はひどくないか。
ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、ドイツ、オーストリア合作

 
posted by zeroko at 18:34| Comment(0) | TrackBack(1) | ヨーロッパ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月08日

「呉清源 極みの棋譜」東洋の美、ここに極まれり

☆楽しめる 考えさせる 視野が広がる 

 製作が発表された時から楽しみにしていた映画である。「黄色い大地」「さらば我が愛 覇王別姫」の陳凱歌や、「赤いコーリャン」「初恋のきた道」の張芸謀と並ぶ中国映画第五世代、田壮壮監督の新作。主演は台湾の若手で超美形!、しかも全篇日本語の中国映画だ。

 囲碁をたしなむ者なら誰でも知っている「昭和の棋聖」、呉清源の人生を描いている。私はたまたま、息子さんと知り合いである。何回か観た予告篇から映像の素晴らしさが伝わってきて、大いに期待していた。で、感想をひとことで言うと「東洋の美、ここに極まれり」。静謐で抑制的、映像も音楽も心身に滲み渡るかのごとくだ。
 
 呉清源が14歳で日本にやってきたのは、満州事変が起こる三年前。日中関係は既に悪化の一途をたどっていた。日本人棋士との対局を、新聞は「日中対決」と書き立てる。一切の雑念を振り払い、囲碁一筋に生きようとする呉清源だったが、現実はそれを許さなかった。

 時流とは距離を置き、ひたすら囲碁を打ち続ける棋士たち。次の対局は無いかもしれないと言って、出征していく棋士もいる。昭和20年8月6日、広島で行なわれている本因坊戦の最中に、原爆が投下される。それでも打ち続ける姿は壮絶そのもの。この映画は、徹底して個人に生きる人間たちを描いた物語でもある。
 
 日中の複雑な歴史に翻弄された呉清源は一時、新興宗教にのめり込む。信仰への思いを描こうとした理由を、田壮壮はこう述べている。「私の親達の世代は、若い頃から共産党に奉仕して、文革を経てもなお党を信じている。しっかりした信仰を持つ人は幸せだと思った」。今、中国の若者たちは何を信じているのだろう。それが市場原理でないことを私は祈っている。12月8日、日米開戦の日に記す。
posted by zeroko at 21:51| Comment(1) | TrackBack(0) | アジア映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする