2007年06月14日

「女帝」中国系の才能が結集した、圧倒的なエンターテインメント

 凄惨で美しい物語である。オープニングから、現代アートのような画面に目が釘づけ。シェークスピアの「ハムレット」を大胆に翻案、舞台を五代十国時代の中国に置き換え、愛と権力をめぐるすさまじい物語につくりかえている。観客に様々な解釈の余地を与え、美しい映像や舞踊で楽しませ、ワイヤーアクションまで取り入れた贅沢なエンターテインメントだ。

 「とにかくチャン・ツィイーが美しい」「チャン・ツィイーを観る映画」という感想が多いようだが、それでは「『パッチギ!』は沢尻エリカを観る映画」と言っているのと同じである。もちろん、実際チャン・ツィイーはきれいだし、どう観ようと自由だが、その見方ではちょっともったいないような気がする。

 プログラムに脚本家の中島丈博がこう書いていた。「キャラクターとストーリーの貧困に喘ぐ現在の邦画界に、果たしてこの堂々たる劇的宇宙と拮抗する力があるのだろうか」。全く同感である。実にスケールが大きいのだ。

 私は先月、日中の脚本家が共同で執筆した舞台「下周村」を新国立劇場で観た。驚いたのは、どこを日本の脚本家が書いてどこを中国の脚本家が書いたのか、観ていてわかるということだ。描いている世界が全く違うのである。私はこの舞台を観て、日本的知性というものは非観念的で情緒的なんだということがよくわかった。それが、日本特有の繊細な描写につながるのだろう。

 さて、プログラムを買って丹念に読んだ結果、もう一つわかったことがある。この映画は中国系の才能が結集してつくりあげたものだということだ。俳優はもちろん、衣裳や美術、音楽やワイヤーアクションに至るまで、香港やアメリカなど、各地に散らばっている中国系のアーティストが結集しているのである。このネットワークは、これからもっと威力を発揮するだろう。中国と対立するのは得策ではない。

 とにかく「四千年の大国が、多極化する世界の一角を担うべくグローバルスタンダードに直面した時、どういう文化を生み出すか」強い関心を抱いている私にとって、非常に興味深い映画だった。西洋近代に出会って150年、共産中国建国から60年。中国がたどり着いた表現の現在は、私たち日本人にとっても非常に刺激的である。
2006年 中国・香港合作 フォン・シャオガン監督 配給:ギャガ 
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2007年06月08日

カンヌ映画祭を彩った日韓の女性たち:河瀬直美とチョン・ドヨン

 多忙で少し遅くなったが、今年のカンヌ映画祭を振り返って。日本での話題は河瀬直美の監督賞受賞、韓国での話題はチョン・ドヨンの主演女優賞受賞だった。ちなみにパルムドール(最高賞)、ルーマニアのクリスティアン・ムンジウ監督の「4Luni、3spatamini si 2 zile」。
 
 河瀬直美監督は新人監督賞に続いて二度目の受賞。本来ならお祝いしたいところだが、ちょっと疑問がある。この人の映画は、とにかく面白くないのである。カンヌで新人賞を取ったのだからと思って観に行ったが、正直言って「フランス人って、どうしてこういう映画が好きだなんだろう」というものだった。わかったような顔をして、「素晴らしい!」「さすが!」とは言えなかった。

 そもそも毎回、読みにくい漢字をタイトルに入れるところに疑問がある。読めないし、意味もわからないタイトルだ。大衆性をはなから無視しているようなつくりには、首をかしげざるを得ない。こういうのを自己満足というのではなかろうか。
 
 映画監督には、「興行的な成功」か「日本での評価」か、あるいは「海外での評価」のどれかが求められる。河瀬監督は最後の一つしかない。前の二つのうちどちらかしかなくても、そういう映画には存在価値がある。しかし、最後の一つしかないというのはどうだろうか。元夫がプロデューサーだけに、上手に狙ったという感じが否めない。もちろん、そういう作戦もあるが。幸い、次回はわかりやすいタイトルの映画をつくるらしい。それで真価が問われるだろう。

 更に言えば、今回の授賞式ファッションには驚いてしまった。映画監督が、ああいう服を着る必要があるだろうか。試写会の時はモデルが着るような「さくらん」風ポップな和服、授賞式では胸の谷間を露出した黒いドレス。どこかが提供したのだろうが、キャメロン・ディアスじゃあるまいし、全く似合わなくて恥ずかしかった。アカデミー賞授賞式での菊地凛子に続く勘違いだ。
 
 やめた方がいいファッションという点では、韓国に初の主演女優賞をもたらしたチョン・ドヨンも同様だ。いい女優で、帰国した時にはノーメークという素朴さだったが、なまじ細身でスタイルがいいので、いつも露出過剰。韓国女優はアジアセックス・シンボルをめざしているのだろうかと、心配になる。

 とまぁ、映画の中身より周辺にこだわった話題になってしまったが、映画祭にはこういう野次馬的な観方もアリ。才能に恵まれた日韓の女性たちが、自分を見失わないことを祈る。
posted by zeroko at 22:44| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする