2006年11月25日
「上海の伯爵夫人」 魔都・上海
「1930年代の上海」が舞台という一点に惹かれて観に行ったのですが、予想以上に面白かった作品。「日の名残り」「ハワーズ・エンド」のジェームズ・アイボリー監督作品というだけで、イギリス映画ファンにはたまらないかもしれませんが。
19世紀半ば以降、中国は欧米列強の食い物にされていました。清朝は衰え、辛亥革命によって1912年に中華民国が成立してからも、軍閥が割拠して国内は四分五裂。混乱が続いていました。
上海はその象徴のような街。フランスやドイツなどが租界、つまり行政自治権や治外法権を持つ居留地をつくり、半植民地状態だったのです。その結果、上海には多くの外国人が流れ込み、カオスのような不思議な雰囲気をつくっていました。
もちろん、これは外国人から見た「勝手な上海像」です。しかし、このような「国際都市」上海は多くの日本人を惹きつけました。その様子は様々な本に描かれています。例えば「上海 1930年」(岩波新書)。ゾルゲ事件で死刑になった尾崎秀実の弟である尾崎秀樹が、兄の動きを中心に1930年の激動の上海を描いています。魯迅やアグネス・スメドレーも出てきます。
それから、「魔都上海 日本知識人の『近代』体験」(劉建輝 講談社選書メチエ)。これは猛烈に面白い本です。日本人が上海で出会った「近代」なるものについての考察です。あと一冊、「映画のなかの上海 表象としての都市・女性・プロパガンダ」(劉文兵 慶応義塾大学出版会)。これはすごい本ですよ。細かい字がびっしり書かれた300ページの大作。読みごたえ充分です。
挫折し、家族も視力も失ったアメリカ人の元外交官が、そんな上海で今はホステスをしているロシアの元伯爵夫人と出会います。そして崩壊していく現実世界に目を閉ざし、自分が作りあげた理想のバーで耽美な世界に閉じこもるのです。美学を共有する謎の日本人とも交流します。しかし、その日本人は実は戦争仕掛人?! やがて上海に日本軍が姿を現します。
オリジナル脚本を書いたのは、日系イギリス人作家のカズオ・イシグロ。イギリスで高い評価を受けている作家です。祖父が実際、この時期にビジネスマンとして上海にいたとか。私はこの人の重層的な視点と発想に、非常に興味があります。
カズオ・イシグロにとってこの脚本を書くことは、みずからのアイデンティティーを探る作業でもあったのかもしれませんね。中国で生まれ育った父を通して、いつも自分のアイデンティティーを模索している私にとって、示唆に富んだ映画でもありました。
監督:ジェームズ・アイボリー 2005年 イギリス・アメリカ・ドイツ・中国合作 配給:ワイズポリシー=東宝東和
2006年11月15日
「ウィンターソング」中国の中の香港
香港映画「ウィンターソング」を観てきました。10年に渡る男女の三角関係を、ミュージカル映画の撮影と同時進行で見せる絢爛豪華な映画。久々に香港映画の面目躍如です。
映画もねっとりしていて楽しめますが(笑)、何より興味深かったのが大陸との距離感。香港人が描く北京の街並みも一見の価値あり。この9年で香港はどう変わったのか、うかがえる映画でした。
イギリスは清にアヘン戦争をしかけ、1842年の南京条約や1860年の天津条約で香港をもぎ取りました。欧米列強は瀕死の清に対して、本当にひどいことをしましたね。1997年、返還の年に中国映画「アヘン戦争」が公開された時、私は何度も観て溜飲を下げたものです。
しかし、コンベンションセンターで行なわれた返還式典で、時計が7月1日の午前零時をさし、ユニオンジャックと五星紅旗が入れ替わった時・・・正直に言いますが、私の中で不安が頭をもたげたのです。「香港はこれからどうなるのだろうか」。それは私の中に潜在していた、中国の体制への不安でした。
過去の経緯とは別に、私は返還前に最後の総督パッテンが力を注いだ民主化への努力を、好意的に見ていました。香港の言論と表現の自由は、果たして保証されるのだろうか。その不安は数時間後、人民軍が入ってきた様子を見た時にさらに拡大しました。それは、私の中にある民主主義の基準がなお西洋的なものであるという矛盾を、意識した瞬間でもありました。
この問題に対する答を、私はまだ見いだせません。中国の民主化とはどういうことか。それはすなわち、日本の民主主義を問い直す作業でもあります。日本の戦後は結局、「植民地近代化」だったと私は考えています。
日本オリジナルの民主主義を、私たちはまだ手にしていません。一方で、自由と民主主義を掲げて戦争をするアメリカには怒りを感じます。日中は共に、アジアの民主主義を模索していく仲間だと思っています。
香港映画はその後、才能の流出や中国映画の商業化によって低迷。人気者、レスリー・チャンを自殺で失うという悲劇にもみまわれました。一時に比べると寂しい状況です。
しかし、日台ハーフの金城武、大陸からジョウ・シュン、そして韓国からチ・ジ二を起用してつくった「ウィンターソング」には、大陸との距離をさぐりながら香港がつくりつつある、新しいアイデンティティが感じられます。香港映画はもしかしたら、数年後には低迷を抜け出すかもしれません。
なお、チ・ジ二の中国語を聞けたのは収穫だった(笑) 「チャングムの誓い」のヒットで、今やアジア全体の人気者です。素敵よね、あの人。
監督:ピーター・チャン 配給:角川ヘラルド 2005年香港映画
映画もねっとりしていて楽しめますが(笑)、何より興味深かったのが大陸との距離感。香港人が描く北京の街並みも一見の価値あり。この9年で香港はどう変わったのか、うかがえる映画でした。
イギリスは清にアヘン戦争をしかけ、1842年の南京条約や1860年の天津条約で香港をもぎ取りました。欧米列強は瀕死の清に対して、本当にひどいことをしましたね。1997年、返還の年に中国映画「アヘン戦争」が公開された時、私は何度も観て溜飲を下げたものです。
しかし、コンベンションセンターで行なわれた返還式典で、時計が7月1日の午前零時をさし、ユニオンジャックと五星紅旗が入れ替わった時・・・正直に言いますが、私の中で不安が頭をもたげたのです。「香港はこれからどうなるのだろうか」。それは私の中に潜在していた、中国の体制への不安でした。
過去の経緯とは別に、私は返還前に最後の総督パッテンが力を注いだ民主化への努力を、好意的に見ていました。香港の言論と表現の自由は、果たして保証されるのだろうか。その不安は数時間後、人民軍が入ってきた様子を見た時にさらに拡大しました。それは、私の中にある民主主義の基準がなお西洋的なものであるという矛盾を、意識した瞬間でもありました。
この問題に対する答を、私はまだ見いだせません。中国の民主化とはどういうことか。それはすなわち、日本の民主主義を問い直す作業でもあります。日本の戦後は結局、「植民地近代化」だったと私は考えています。
日本オリジナルの民主主義を、私たちはまだ手にしていません。一方で、自由と民主主義を掲げて戦争をするアメリカには怒りを感じます。日中は共に、アジアの民主主義を模索していく仲間だと思っています。
香港映画はその後、才能の流出や中国映画の商業化によって低迷。人気者、レスリー・チャンを自殺で失うという悲劇にもみまわれました。一時に比べると寂しい状況です。
しかし、日台ハーフの金城武、大陸からジョウ・シュン、そして韓国からチ・ジ二を起用してつくった「ウィンターソング」には、大陸との距離をさぐりながら香港がつくりつつある、新しいアイデンティティが感じられます。香港映画はもしかしたら、数年後には低迷を抜け出すかもしれません。
なお、チ・ジ二の中国語を聞けたのは収穫だった(笑) 「チャングムの誓い」のヒットで、今やアジア全体の人気者です。素敵よね、あの人。
監督:ピーター・チャン 配給:角川ヘラルド 2005年香港映画
2006年11月11日
「父親たちの星条旗」硫黄島の悲劇を日米で共有
硫黄島は、太平洋上に浮かぶ小さな島です。東京グァム島間のほぼ中間にあります。戦争体験世代でなければ知らないのではないでしょうか。地図で見ても探すのが難しいぐらいですから。しかし太平洋戦争の末期、硫黄島は大激戦地となったのです。
アメリカでは過去二回、硫黄島の戦いをテーマに映画が作られています。三回目である「父親たちの星条旗」の特徴は、二部作になっていること。二ヶ月後には、日本側から見た「硫黄島からの手紙」が公開されます。
太平洋戦争終結後六十一年、ようやくこういう表現法が出てきたかと、ちょっと感銘を受けました。これまでは日米で太平洋戦争を描く場合、必ず相手は「顔の見えない悪の集団」でしたから。
相手も同じ人間で、かけがえのない家族がいて、それを失った悲しみは決して癒えない・・・この当たり前のことをスクリーンを通じて共有するまで、六十一年かかったということです。で、近づいてきたのはアメリカ映画の方でした。何しろ日本は「男たちの大和/YAMATO」ですから(笑)
硫黄島の擂鉢山に、六人の兵士が星条旗を立てる様子を映した写真は、あまりにも有名です。像が立ち、切手にもなっています。しかし、英雄であるはずの彼らの戦後は苦いものでした・・・。美談がつくられていく構造の中に、戦争の本質が隠されています。
監督:クリント・イーストウッド 配給:ワーナー・ブラザース 2006年アメリカ映画
2006年11月03日
「出口のない海」 海の特攻「回天」の悲劇
夏の終わりに公開された「出口のない海」。「亡国のイージス」や「男たちのYAMATO」の系列、三番煎じのような印象を受けた人が多かったのではないでしょうか。それが全く違うんですよ!
人間魚雷「回天」に志願した若者たちの物語です。特攻隊というと神風特別攻撃隊が有名ですが、回天は海の特攻。直径1メートルほどの魚雷の中に人が乗って、敵艦に体当たりするものです。一度入ったら脱出は不可能ですから、はずれてもそのまま艦内で死を待つだけです。よくまぁ、こういうことを考えたものですねぇ・・・。
1944(昭和19)年8月、正式に兵器として採用されました。こういうことを考えるようになったらおしまい。しかし、そういう常識的な発想ができなくなっていたのです。まぁ、日清戦争以来の大日本主義=アジア侵略が既に、道を踏み外した非常識な行為だったわけですが、その歪みがここに極まったというべきでしょうか。
国家が個人を圧殺する天皇制イデオロギーの中で、本来なら知的な人間たちも、苦しみながらその論理を肯定していきました。「愛する家族、愛する郷土を守るため」という論理です。そう考えることによって、自分の犠牲を意味あるものにするしかなかったともいえるでしょう。
しかし、その「国」の実体は「愛する者たちの延長で」はなく、国民を犠牲にして、一部の権力者たちと軍需産業が生き残ろうとする仕組みでしかなかったのです。これが国家と戦争との関係です。愛国心は常に、その現実を隠蔽するためのトリックとして使われます。
こういう言い方も変ですが、いい映画でした。観客は中高年の男性ばかりかと思っていたけれど、けっこう若者もいました。市川海老蔵や伊勢谷友介らが出ているせいかも。「悲惨さを正確に伝えていない」という意見もあるでしょうが、今はこういう感じじゃないと誰も観に来ないのでしょう。
有名な、神宮球場での学徒出陣壮行会に参加した後の若者たちの様子、「君は敵の姿を見たことがあるか」と問いかける父との対話など、否応なく時代に巻き込まれていった人々の生き方を内側からたどっています。「カーテンコール」の佐々部清監督ならでは。
人間魚雷「回天」に志願した若者たちの物語です。特攻隊というと神風特別攻撃隊が有名ですが、回天は海の特攻。直径1メートルほどの魚雷の中に人が乗って、敵艦に体当たりするものです。一度入ったら脱出は不可能ですから、はずれてもそのまま艦内で死を待つだけです。よくまぁ、こういうことを考えたものですねぇ・・・。
1944(昭和19)年8月、正式に兵器として採用されました。こういうことを考えるようになったらおしまい。しかし、そういう常識的な発想ができなくなっていたのです。まぁ、日清戦争以来の大日本主義=アジア侵略が既に、道を踏み外した非常識な行為だったわけですが、その歪みがここに極まったというべきでしょうか。
国家が個人を圧殺する天皇制イデオロギーの中で、本来なら知的な人間たちも、苦しみながらその論理を肯定していきました。「愛する家族、愛する郷土を守るため」という論理です。そう考えることによって、自分の犠牲を意味あるものにするしかなかったともいえるでしょう。
しかし、その「国」の実体は「愛する者たちの延長で」はなく、国民を犠牲にして、一部の権力者たちと軍需産業が生き残ろうとする仕組みでしかなかったのです。これが国家と戦争との関係です。愛国心は常に、その現実を隠蔽するためのトリックとして使われます。
こういう言い方も変ですが、いい映画でした。観客は中高年の男性ばかりかと思っていたけれど、けっこう若者もいました。市川海老蔵や伊勢谷友介らが出ているせいかも。「悲惨さを正確に伝えていない」という意見もあるでしょうが、今はこういう感じじゃないと誰も観に来ないのでしょう。
有名な、神宮球場での学徒出陣壮行会に参加した後の若者たちの様子、「君は敵の姿を見たことがあるか」と問いかける父との対話など、否応なく時代に巻き込まれていった人々の生き方を内側からたどっています。「カーテンコール」の佐々部清監督ならでは。

