2006年10月29日
「地下鉄(メトロ)に乗って」 大東亜共栄圏という誇大妄想
東京メトロの各駅にポスターが貼ってある「地下鉄(メトロ)に乗って」。浅田次郎の原作を映画化するには、監督の力量が今一つという感じですが、まぁまぁ楽しめます。
地下鉄に乗って、主人公は歴史をどんどん過去に遡ります。 そして、満州(今の中国、東北地方)に出征した父の姿を見るのです。 1945(昭和20)年8月9日に、旧ソ連が国境を越えて侵攻してきた時、 関東軍(満州を守っていた日本軍)は民間人を見捨てて、我れ先に逃げ出しました。
しかし、主人公の父は一人残って奮闘します。 そして体を張って民間人を守りながら、こう叫ぶのです。 「何が満州国だ! 俺はもう何も信じないぞ〜っ!」
満州国は1932(昭和7)年、日本が立てた傀儡政権です。「五族協和」「王道楽土」の美しいスローガンに誘われていった満州で日本人が見たものは、日本の山河とは異質な過酷な自然と、土地を奪われた中国人の敵意でした(当然ですが)。
そこには人工的で不安定な日本が、楼閣のように漂っていただけだったのです。民族は決して協和することはなく、多く人が幻滅しました。それが北方の新天地、大満州国の実態でした。 大東亜共栄圏は島国日本が抱いた誇大妄想。日本はアジアに出ていく方法論を間違えたのです。
今、歴史を知らない若者たちが、再び大東亜共栄圏という誇大妄想で自己防衛しようとしています。植民者があの時に感じた幻滅と違和感が、伝わっていないんですね。「大東亜共栄圏は侵略のイデオロギーだった」という正論だけでは、歴史の真実は伝わらないんですよね。う〜ん、難しい。
主人公の父は、満州から九死に一生を得て生還。戦後の混乱期を逞しく生き抜き、衣料品会社を興します。汚い手を使ってのし上がってきた、主人公が嫌いに嫌った父は、時代に翻弄された一人の日本人だったのです。エキストラとセットで再現された昭和39年の、そして戦後の東京は一見の価値あり。
監督:篠原哲男 配給:ギャガ、松竹 2006年:日本映画
2006年10月22日
「トンマッコルへようこそ」 村人に癒されて、兵士たちは人間に戻る
日本人がまともに朝鮮戦争の映画を観たのは、恐らく「ブラザーフッド」(原題「太極旗を翻して」2004年)が初めてではないでしょうか。この映画は、韓国映画躍進の起爆剤となった「シュリ」を製作した、カン・ジェギュ監督の力作です。チャン・ドンゴンとウォンビンが共演しました。
朝鮮戦争は、日本の植民地支配から解放されて5年後の、1950年の6月15日に始まりました。人民軍(北朝鮮)が武力統一をめざし、北緯38度線を超えて攻め込んできたのです。日本帝国主義の崩壊後、朝鮮半島は3年間、国がない混乱状態でした。1948年に朝鮮民主主義共和国と大韓民国の設立が宣言されて以後は、その混乱に政治的対立まで加わってしまったのです。
朝鮮戦争はアメリカ率いる国連軍と中国軍まで介入した、悲惨な戦争でした。多くの死傷者を出して分断は決定的になり、後には相互不信と憎しみだけが残りました。北と南、両国とも民主主義発展の芽は摘まれ、長く不毛なイデオロギー対立が続くことになりました。
北緯38度線は軍事境界線で、正式には朝鮮戦争は「停戦中」です。日本人は北朝鮮問題を考える時に、「日本の植民地支配がなかったら、朝鮮半島は分断されていただろうか」ということを、念頭に置く必要があるでしょう。隣国を襲った悲劇が「朝鮮特需」となって、日本の戦後復興の牽引力となったことも。
さて「トンマッコルへようこそ」は、アニメ世代のパク・クァンヒョン監督がつくった新世代映画。架空の村トンマッコルに癒されて、国連軍と韓国軍と人民軍の兵士たちが人間に戻る物語です。久石譲の音楽に乗せて、人間同士の心温まる交流が描かれます。しかし・・・。
朝鮮戦争は東アジア全体に関わる悲劇でした。今さらではありますが、日本人がこの映画を観て朝鮮戦争を知り、それに日本がどう関わったか考えてくれれば嬉しいです。
監督:パク・クァンヒョン 配給:日活 2005年:韓国映画
朝鮮戦争は、日本の植民地支配から解放されて5年後の、1950年の6月15日に始まりました。人民軍(北朝鮮)が武力統一をめざし、北緯38度線を超えて攻め込んできたのです。日本帝国主義の崩壊後、朝鮮半島は3年間、国がない混乱状態でした。1948年に朝鮮民主主義共和国と大韓民国の設立が宣言されて以後は、その混乱に政治的対立まで加わってしまったのです。
朝鮮戦争はアメリカ率いる国連軍と中国軍まで介入した、悲惨な戦争でした。多くの死傷者を出して分断は決定的になり、後には相互不信と憎しみだけが残りました。北と南、両国とも民主主義発展の芽は摘まれ、長く不毛なイデオロギー対立が続くことになりました。
北緯38度線は軍事境界線で、正式には朝鮮戦争は「停戦中」です。日本人は北朝鮮問題を考える時に、「日本の植民地支配がなかったら、朝鮮半島は分断されていただろうか」ということを、念頭に置く必要があるでしょう。隣国を襲った悲劇が「朝鮮特需」となって、日本の戦後復興の牽引力となったことも。
さて「トンマッコルへようこそ」は、アニメ世代のパク・クァンヒョン監督がつくった新世代映画。架空の村トンマッコルに癒されて、国連軍と韓国軍と人民軍の兵士たちが人間に戻る物語です。久石譲の音楽に乗せて、人間同士の心温まる交流が描かれます。しかし・・・。
朝鮮戦争は東アジア全体に関わる悲劇でした。今さらではありますが、日本人がこの映画を観て朝鮮戦争を知り、それに日本がどう関わったか考えてくれれば嬉しいです。
監督:パク・クァンヒョン 配給:日活 2005年:韓国映画
2006年10月21日
「グエムル 漢江(ハンガン)の怪物」負け組一家の奮闘物語
「グエムル (ハンガン)の怪物」は、今年の夏に韓国で公開され、歴代ナンバー1の興行収入を上げた映画です。韓国の人が観ると、細部にまで今という時代が綿密に描き込まれている作品。私は新宿の映画館で観ましたが、近くに座っていた韓国の人たちの盛り上がりがすごかった。
日本でも、公開前から試写会での反応もマスコミ受けも良く、大いに期待されたのですが、客足は伸びませんでした。主な原因は、日本では怪物(怪獣)ものの人気が低下していることだと思います。事前にネットで「盗作だ」という悪意を持った情報が流されたことも、影響したかもしれません。
配給会社が「怪物映画」であることを前面に出したプローモーションをしたことも、今思うと失敗でした。この映画は怪物映画というより、「楽しめて、しかもホロリとさせてくれる家族愛の物語」「何をやってもうまくいかない一家の、奮闘物語」なんですよ。その背景には、格差拡大という日韓共通の事情があります。
朝鮮王朝以来の儒教の伝統に、軍事独裁政権の後遺症が加わって、韓国では長く家父長が強い権威を持っていました。しかし、パク一家の男たちは本当に頼りない。説教している間に子供たちに居眠りされてしまう祖父、その祖父の心配の種であるダメ父のカンドゥ、民主化運動上がりの大卒フリーターである、その弟。
そんな男たちに、本番に弱いアーチェリー選手である娘も加わって、政府にも見捨てられた状況下、一家は怪物にさらわれた末娘を助けようと奮闘します。末娘の叔父にあたる大卒フリーターは火炎瓶をつくって怪物に投げますが、ことごとくはずれてしまいます。そんな彼を最後に助けるのは、恐らく民主化運動に挫折したのであろうホームレス、風来坊。「金で全てが動くと思うな」。この男が放つ一言は、現状への警告です。
1948年の建国以来、韓国ではずっと民主化運動が続いてきました。1962年の、パク・チョンヒ軍事政権の成立から数えても30年近く。隣国の抑圧体制は「北朝鮮の脅威」のもとに正当化され、一方で日本と韓国は政治的癒着状態にありました。話せば長い物語です・・・。
旧世代の祖父が最後に見せる大きな愛に、消えゆく家父長の輝きがあって泣けます。激動の韓国現代史を知ってから観ると、一段と味わい深い「グエムル」。「知らなかった〜」という方はDVDでどうぞ!
監督:ポン・ジュノ 配給:角川ヘラルド 2006年 韓国映画
日本でも、公開前から試写会での反応もマスコミ受けも良く、大いに期待されたのですが、客足は伸びませんでした。主な原因は、日本では怪物(怪獣)ものの人気が低下していることだと思います。事前にネットで「盗作だ」という悪意を持った情報が流されたことも、影響したかもしれません。
配給会社が「怪物映画」であることを前面に出したプローモーションをしたことも、今思うと失敗でした。この映画は怪物映画というより、「楽しめて、しかもホロリとさせてくれる家族愛の物語」「何をやってもうまくいかない一家の、奮闘物語」なんですよ。その背景には、格差拡大という日韓共通の事情があります。
朝鮮王朝以来の儒教の伝統に、軍事独裁政権の後遺症が加わって、韓国では長く家父長が強い権威を持っていました。しかし、パク一家の男たちは本当に頼りない。説教している間に子供たちに居眠りされてしまう祖父、その祖父の心配の種であるダメ父のカンドゥ、民主化運動上がりの大卒フリーターである、その弟。
そんな男たちに、本番に弱いアーチェリー選手である娘も加わって、政府にも見捨てられた状況下、一家は怪物にさらわれた末娘を助けようと奮闘します。末娘の叔父にあたる大卒フリーターは火炎瓶をつくって怪物に投げますが、ことごとくはずれてしまいます。そんな彼を最後に助けるのは、恐らく民主化運動に挫折したのであろうホームレス、風来坊。「金で全てが動くと思うな」。この男が放つ一言は、現状への警告です。
1948年の建国以来、韓国ではずっと民主化運動が続いてきました。1962年の、パク・チョンヒ軍事政権の成立から数えても30年近く。隣国の抑圧体制は「北朝鮮の脅威」のもとに正当化され、一方で日本と韓国は政治的癒着状態にありました。話せば長い物語です・・・。
旧世代の祖父が最後に見せる大きな愛に、消えゆく家父長の輝きがあって泣けます。激動の韓国現代史を知ってから観ると、一段と味わい深い「グエムル」。「知らなかった〜」という方はDVDでどうぞ!
監督:ポン・ジュノ 配給:角川ヘラルド 2006年 韓国映画
2006年10月10日
「カーテンコール」 昭和はどういう時代だったか
昭和30年代から40年代の日本に起きた大きな社会現象の一つに、テレビの普及による映画産業の衰退があります。1959(昭和34)年に皇太子(現天皇)が美智子さんと結婚。そのパレードを見ようと、人々は争ってテレビを買いました。
娯楽の王者だった映画は、テレビにその座を明け渡しました。私の記憶でも、子どもの頃は人気のある映画はいつも満員で、下手すると立ち見を覚悟しなければならなかったのが、いつのまにか楽に見られるようになりましたから。
時は昭和30年代の半ば。つまり1960年代の初め。山口県下関市のある映画館では、幕間に形態模写をしたり歌ったりする芸人がいました。しかし、観客の減少と共にその人の出番もなくなっていったのです。
時代が変わるとは、こういうことなんですよね。日本の高度成長は生活を豊かにした反面、様々なものを置き去りにしてきました。今もマスコミで新商品が華やかに取り上げられる一方で、生活の基盤を失いつつある人がいるはずです。
この映画は「ALWAYS 三丁目の夕日」とほぼ同時期に公開されたため、損をしたようです。「三丁目の夕日」は原作が大人気コミックだし、温かくて癒される優しい昭和があふれていますから。昭和を生きた世代は、今さら悲しい昭和は観たくないかもしれません・・・。
もう一点、「カーテンコール」は戦後日本の風景の中に在日コリアンを位置づけているという点で、注目に値します。誰もが豊かさに向かってばく進していた時代、在日コリアンがどういう人生を生きていたか。これを知ることによって、日本人の戦後史への視野が広がることでしょう。
「チルソクの夏」でもそうでしたが、佐々部清監督は生まれ育った下関に多い在日コリアンとの交流を、意識して描いています。私はそこに、自身の根っこに対するこだわりと世代的責任感を感じます。社会性と大衆性を併せもつ爽やかな物語の作り手として、一層の活躍を願っています。
監督:佐々部清 配給:キュービカル・エンタテインメント 2004年
娯楽の王者だった映画は、テレビにその座を明け渡しました。私の記憶でも、子どもの頃は人気のある映画はいつも満員で、下手すると立ち見を覚悟しなければならなかったのが、いつのまにか楽に見られるようになりましたから。
時は昭和30年代の半ば。つまり1960年代の初め。山口県下関市のある映画館では、幕間に形態模写をしたり歌ったりする芸人がいました。しかし、観客の減少と共にその人の出番もなくなっていったのです。
時代が変わるとは、こういうことなんですよね。日本の高度成長は生活を豊かにした反面、様々なものを置き去りにしてきました。今もマスコミで新商品が華やかに取り上げられる一方で、生活の基盤を失いつつある人がいるはずです。
この映画は「ALWAYS 三丁目の夕日」とほぼ同時期に公開されたため、損をしたようです。「三丁目の夕日」は原作が大人気コミックだし、温かくて癒される優しい昭和があふれていますから。昭和を生きた世代は、今さら悲しい昭和は観たくないかもしれません・・・。
もう一点、「カーテンコール」は戦後日本の風景の中に在日コリアンを位置づけているという点で、注目に値します。誰もが豊かさに向かってばく進していた時代、在日コリアンがどういう人生を生きていたか。これを知ることによって、日本人の戦後史への視野が広がることでしょう。
「チルソクの夏」でもそうでしたが、佐々部清監督は生まれ育った下関に多い在日コリアンとの交流を、意識して描いています。私はそこに、自身の根っこに対するこだわりと世代的責任感を感じます。社会性と大衆性を併せもつ爽やかな物語の作り手として、一層の活躍を願っています。
監督:佐々部清 配給:キュービカル・エンタテインメント 2004年
2006年10月09日
「胡同のひまわり」 悲劇を乗り越えて生きる人々
中国映画は1980年代半ばに大きな飛躍を遂げました。いわゆる第五世代の監督たちが登場、世界的な注目を集めたのです。その代表が『黄色い大地』(1984)の陳凱歌(チェン・カイコー)と、『紅いコーリャン』(1987)の張芸謀(チャン・イーモウ)です。この二人は共に、中国の近現代史を美しい映像で描き、世界に衝撃を与えました。
中国の歩みは複雑です。1945(昭和20)年8月15日、日本の無条件降伏によって日中戦争は終わりましたが、中国はそのまま共産党と国民党の内戦に入ります。そして共産党の勝利によって1949年、中華人民共和国が設立されました。
その後も色々な出来事が起きましたが、何といっても悲惨だったのは文化大革命。毛沢東が発動したこの「王様クーデター」で、1966年から10年間、中国全土は大混乱に陥りました。陳凱歌(チェン・カイコー)と張芸謀(チャン・イーモウ)は抗日戦争も含む、このような中国近現代史の苦難と、その中で必死に生きる人々を鮮烈に描いたのです。
彼ら第五世代の登場から20年。中国映画は商業化し、鞏俐(コン・リー)や章子怡(チャン・ツィイー)のような世界的女優を生み出しました。そして大家となった第五世代の監督たちは大作路線になって、中国の現実から離れつつあります。そして今、注目すべきは第六世代です。「胡同のひまわり」の張揚(チャン・ヤン)監督もその一人。
この映画は、オリンピックめざして街を作り変えている北京で、失われつつある古い街並・胡同を舞台に、父と息子の30年に渡る複雑な関係を描いています。自分の果たせなかった夢を息子に押しつける父親に、息子は強く反発します。しかし、その背景には文化大革命がもたらした悲劇があったのです。
時代の大波に巻き込まれつつ、それでも幸せを求めて懸命に生きようとす人間たちを、張揚(チャン・ヤン)監督は暖かく見つめています。ラストを和解による単純なハッピーエンドにしなかったところに、監督の知性を感じます。
過去もずっと、そしてこれからもずっと隣国である中国。その現代史を知ることは、政治や経済に頼らない日中共存のために、意味のあることではないでしょうか。
中国の歩みは複雑です。1945(昭和20)年8月15日、日本の無条件降伏によって日中戦争は終わりましたが、中国はそのまま共産党と国民党の内戦に入ります。そして共産党の勝利によって1949年、中華人民共和国が設立されました。
その後も色々な出来事が起きましたが、何といっても悲惨だったのは文化大革命。毛沢東が発動したこの「王様クーデター」で、1966年から10年間、中国全土は大混乱に陥りました。陳凱歌(チェン・カイコー)と張芸謀(チャン・イーモウ)は抗日戦争も含む、このような中国近現代史の苦難と、その中で必死に生きる人々を鮮烈に描いたのです。
彼ら第五世代の登場から20年。中国映画は商業化し、鞏俐(コン・リー)や章子怡(チャン・ツィイー)のような世界的女優を生み出しました。そして大家となった第五世代の監督たちは大作路線になって、中国の現実から離れつつあります。そして今、注目すべきは第六世代です。「胡同のひまわり」の張揚(チャン・ヤン)監督もその一人。
この映画は、オリンピックめざして街を作り変えている北京で、失われつつある古い街並・胡同を舞台に、父と息子の30年に渡る複雑な関係を描いています。自分の果たせなかった夢を息子に押しつける父親に、息子は強く反発します。しかし、その背景には文化大革命がもたらした悲劇があったのです。
時代の大波に巻き込まれつつ、それでも幸せを求めて懸命に生きようとす人間たちを、張揚(チャン・ヤン)監督は暖かく見つめています。ラストを和解による単純なハッピーエンドにしなかったところに、監督の知性を感じます。
過去もずっと、そしてこれからもずっと隣国である中国。その現代史を知ることは、政治や経済に頼らない日中共存のために、意味のあることではないでしょうか。
2006年10月06日
「弓」 男の孤独と欲望
アジアを代表する映画監督の一人、韓国の鬼才にして異端児のキム・ギドク、第十二作目の作品です。キム・ギドクは海外、特に日本や欧米で評価が高いのですが、韓国では人気がありません。韓国はまだ、キム・ギドクを必要としていないのです。
今年、韓国で歴代最高のヒットを記録した「グエムル 漢江(ハンガン)の怪物」を、キム・ギドクはテレビで批判。その後、猛烈な自己嫌悪に陥ったらしく、「韓国映画界から引退する」というメールを報道機関に送ったあと、一時誰とも連絡を取らなくなりました。
そのメールの中に、こういう一文があったのです。「自分は韓国社会で生きていくには、あまりに深刻な意識面の障害を抱えた人間。私こそ、韓国が生んだ怪物のようなものである」。う〜む・・・。
キム・ギドクの作品は、彼が抱えている深いトラウマから生まれてきます。どれもこれも、すさまじい物語です。軍事政権が終わって、名実共に民主国家になって13年。経済と民主化が大きなテーマである韓国社会で、キム・ギドクの描く世界は好まれないでしょう。
「弓」も、韓国では一週間で上映が打ち切られました。日本でも、東京では一館のみの単館ロードショーでしたが、週末はほぼ満員で、既に固定ファンをつかんでいいる様子が伺えました。7歳の少女を拾ってきた老人が、船の上で一緒に暮らし、17歳になったら結婚しようとしているのです。何とすごい設定でしょうか。
「男の孤独と欲望」。これが「弓」のテーマです。まだジェンダー、つまり社会通念としての男らしさや女らしさが強調される韓国では、わざわざ映画館に観にいくような話ではないのでしょう。でも日本人には、切実になりつつあるテーマです。映像と音楽が美しく、しかも韓国の土着性を感じさせるところも、外国で高く評価される理由だと思われます。
監督:キム・ギドク 配給:東京テアトル=ハビネット 2005年 韓国映画
今年、韓国で歴代最高のヒットを記録した「グエムル 漢江(ハンガン)の怪物」を、キム・ギドクはテレビで批判。その後、猛烈な自己嫌悪に陥ったらしく、「韓国映画界から引退する」というメールを報道機関に送ったあと、一時誰とも連絡を取らなくなりました。
そのメールの中に、こういう一文があったのです。「自分は韓国社会で生きていくには、あまりに深刻な意識面の障害を抱えた人間。私こそ、韓国が生んだ怪物のようなものである」。う〜む・・・。
キム・ギドクの作品は、彼が抱えている深いトラウマから生まれてきます。どれもこれも、すさまじい物語です。軍事政権が終わって、名実共に民主国家になって13年。経済と民主化が大きなテーマである韓国社会で、キム・ギドクの描く世界は好まれないでしょう。
「弓」も、韓国では一週間で上映が打ち切られました。日本でも、東京では一館のみの単館ロードショーでしたが、週末はほぼ満員で、既に固定ファンをつかんでいいる様子が伺えました。7歳の少女を拾ってきた老人が、船の上で一緒に暮らし、17歳になったら結婚しようとしているのです。何とすごい設定でしょうか。
「男の孤独と欲望」。これが「弓」のテーマです。まだジェンダー、つまり社会通念としての男らしさや女らしさが強調される韓国では、わざわざ映画館に観にいくような話ではないのでしょう。でも日本人には、切実になりつつあるテーマです。映像と音楽が美しく、しかも韓国の土着性を感じさせるところも、外国で高く評価される理由だと思われます。
監督:キム・ギドク 配給:東京テアトル=ハビネット 2005年 韓国映画
2006年10月02日
「ゲド戦記」 不安におののく日本人へのメッセージ
宮崎アニメは日本の戦後史を背負っています。宮崎アニメは日本の戦後史を踏まえた上で、今という時代と向き合う物語なのです。戦後を行きてきた日本人ならではの歴史観に支えられているからこそ、老若男女の境界を超えて、宮崎アニメは「何かが心に残る作品」という評価を確立したわけです。
マーケティングの力だけで、こういう商品をつくることはできません。前作「ハウルの動く城」では、「戦争に勝ち負けはない。戦争は悲惨なんだ」という、常識的に考えれば当然の、しかし何か大きな力に遠慮して誰も言わなくなっていた言葉を、ハウルに言わせていました。
悲惨な侵略戦争と原爆投下を経験した日本人が、まさに言うべきことを言う。これが宮崎アニメなのです。対テロ戦争に対して、あれだけはっきりと抗議した映画は、他にありませんでした。
つまりジブリのブランド力とは、日本ならではのメッセージ力を意味します。それは宮崎駿の世代的経験に裏づけられたものでした。そこで問題になるのが、永久に生きるわけではない宮崎駿の後継者問題。それを乗り越えようとしたのが「ゲド戦記」です。
しかし、御大の息子が監督ということで、「ジブリも世襲か」という反感を生む結果になりました。一方で、ほぼ世襲議員で占められている政界に対しては疑問を持たず、「名門」扱いしたりしているのですから、日本人の感覚も矛盾していますが。
ジブリの場合、御大の意見をはね返せる人間が、他にいないのでしょう。カリスマとは難しいものです。ジブリは宮崎駿を超えて、アイデンティティを確立できるでしょうか。
そういう問題を一応横に置いて、純粋にアニメとして観た場合、「ゲド戦記」はなかなか楽しめます。全体に重厚で音楽もいい。映像の美しさはいつもの通りです。言いたいことを言葉で伝えているところが難点ですが、今という時代と格闘しているのがよくわかります。ハイタカの次の言葉には、思わず落涙してしまいました。「我々が今手にしているものは全て、やがて失われるものばかりだ」。
「ゲド戦記」は、正体不明の不安におののく今の日本人に、何かを伝えようとしています。時代と格闘しようという志がある限り、紆余曲折を経ながらも、ジブリはジブリであり続けるでしょう。
それと、批判というものは本来、前向きで生産的な作業であるはずです。この作品に対して一部に悪意を持った誹謗中傷が渦巻いているのを、私は情けなく思っています。
制作:スタジオジブリ 監督:宮崎吾郎 2006年
マーケティングの力だけで、こういう商品をつくることはできません。前作「ハウルの動く城」では、「戦争に勝ち負けはない。戦争は悲惨なんだ」という、常識的に考えれば当然の、しかし何か大きな力に遠慮して誰も言わなくなっていた言葉を、ハウルに言わせていました。
悲惨な侵略戦争と原爆投下を経験した日本人が、まさに言うべきことを言う。これが宮崎アニメなのです。対テロ戦争に対して、あれだけはっきりと抗議した映画は、他にありませんでした。
つまりジブリのブランド力とは、日本ならではのメッセージ力を意味します。それは宮崎駿の世代的経験に裏づけられたものでした。そこで問題になるのが、永久に生きるわけではない宮崎駿の後継者問題。それを乗り越えようとしたのが「ゲド戦記」です。
しかし、御大の息子が監督ということで、「ジブリも世襲か」という反感を生む結果になりました。一方で、ほぼ世襲議員で占められている政界に対しては疑問を持たず、「名門」扱いしたりしているのですから、日本人の感覚も矛盾していますが。
ジブリの場合、御大の意見をはね返せる人間が、他にいないのでしょう。カリスマとは難しいものです。ジブリは宮崎駿を超えて、アイデンティティを確立できるでしょうか。
そういう問題を一応横に置いて、純粋にアニメとして観た場合、「ゲド戦記」はなかなか楽しめます。全体に重厚で音楽もいい。映像の美しさはいつもの通りです。言いたいことを言葉で伝えているところが難点ですが、今という時代と格闘しているのがよくわかります。ハイタカの次の言葉には、思わず落涙してしまいました。「我々が今手にしているものは全て、やがて失われるものばかりだ」。
「ゲド戦記」は、正体不明の不安におののく今の日本人に、何かを伝えようとしています。時代と格闘しようという志がある限り、紆余曲折を経ながらも、ジブリはジブリであり続けるでしょう。
それと、批判というものは本来、前向きで生産的な作業であるはずです。この作品に対して一部に悪意を持った誹謗中傷が渦巻いているのを、私は情けなく思っています。
制作:スタジオジブリ 監督:宮崎吾郎 2006年
2006年10月01日
「蟻の兵隊」 元日本兵が語る侵略戦争の真実
アジア太平洋戦争終結から61年。日本人にとって、かつてアジアを侵略したという過去は記憶のかなたに薄れつつあります。でも、61年で過去を忘れるのは早過ぎます。まだ人ひとりの一生が終わっていない期間ですから。
「蟻の兵隊」は、山西省残留元日本兵、奥村和一さんの行動を追ったドキュメンタリーです。奥村さんは1945年(昭和20年)8月15日、中国山西省で敗戦を迎えますが、上官が国民党の幹部と取引。一部を武装解除せずに現地に残し、自分だけ日本に帰ってしまいます。戦犯として裁かれるのを免れるためです。
日本が無条件降伏した後、中国では国民党と共産党との内戦が始まります。「大日本帝国復活のため」という命令で残った奥村さんは四年間、国共内戦に参加し、さらに捕虜として五年過ごします。しかし、国は自主的に残ったとして責任を認めません。
奥村さんは証拠を探しに山西省に行き、自分が初めて中国人を殺した場所にも行きます。当時、捕えた中国人を銃剣で刺殺させる行為は、正規の「教育訓練」でした。旅団長が命令し、大隊長が見守る中で行なわれたのです。初年兵はへっぴり腰で恐る恐る刺すのでなかなか死なず、上官に怒鳴られながら順番に刺し続けたそうです。
過去を語る奥村さんの顔が歪みます。中国戦線での出来事は、奥さんにも話していないとのこと。しかし、そんな奥村さんが、その場から逃げ出した中国人の息子さんと話している時に、恐ろしい日本兵の顔に戻るんですよ。ここがすごい! 私は正視できませんでした。
正視できないと言えば、靖国神社でスピーチし、拍手を受けるルバング島残留三十年の小野田寛郎さんに、奥村さんが「侵略戦争の美化ですか」と問いかける場面があります。それに反論する小野田さんの鬼のような形相! こういう人だったのかと驚きます。
「我々はどうして、あの侵略戦争に参加しなければならなかったのか。戦友はどうして、中国で死ななければならなかったのか」。奥村さんの言葉が重く響きます。なお、奥村さんが靖国神社に参拝しない理由はこうです。「戦争に駆り出された兵隊が死んで神になるなんて、そんなごまかしは許さない」。
香港国際映画祭 人道に関する優秀映画賞受賞 制作:蓮ユニバース 監督:池谷薫 2005年
「蟻の兵隊」は、山西省残留元日本兵、奥村和一さんの行動を追ったドキュメンタリーです。奥村さんは1945年(昭和20年)8月15日、中国山西省で敗戦を迎えますが、上官が国民党の幹部と取引。一部を武装解除せずに現地に残し、自分だけ日本に帰ってしまいます。戦犯として裁かれるのを免れるためです。
日本が無条件降伏した後、中国では国民党と共産党との内戦が始まります。「大日本帝国復活のため」という命令で残った奥村さんは四年間、国共内戦に参加し、さらに捕虜として五年過ごします。しかし、国は自主的に残ったとして責任を認めません。
奥村さんは証拠を探しに山西省に行き、自分が初めて中国人を殺した場所にも行きます。当時、捕えた中国人を銃剣で刺殺させる行為は、正規の「教育訓練」でした。旅団長が命令し、大隊長が見守る中で行なわれたのです。初年兵はへっぴり腰で恐る恐る刺すのでなかなか死なず、上官に怒鳴られながら順番に刺し続けたそうです。
過去を語る奥村さんの顔が歪みます。中国戦線での出来事は、奥さんにも話していないとのこと。しかし、そんな奥村さんが、その場から逃げ出した中国人の息子さんと話している時に、恐ろしい日本兵の顔に戻るんですよ。ここがすごい! 私は正視できませんでした。
正視できないと言えば、靖国神社でスピーチし、拍手を受けるルバング島残留三十年の小野田寛郎さんに、奥村さんが「侵略戦争の美化ですか」と問いかける場面があります。それに反論する小野田さんの鬼のような形相! こういう人だったのかと驚きます。
「我々はどうして、あの侵略戦争に参加しなければならなかったのか。戦友はどうして、中国で死ななければならなかったのか」。奥村さんの言葉が重く響きます。なお、奥村さんが靖国神社に参拝しない理由はこうです。「戦争に駆り出された兵隊が死んで神になるなんて、そんなごまかしは許さない」。
香港国際映画祭 人道に関する優秀映画賞受賞 制作:蓮ユニバース 監督:池谷薫 2005年
「フラガール」次代を切り拓く女たちの痛快な物語
昭和40年(1965年)、つまり東京オリンピックの翌年、戦後復興を終えた日本は官民上げて、高度成長に向かって走り始めました。「アメリカに追い付き、追い越せ」というスローガンを掲げて。その影で、戦後復興を支えた石炭産業は傾いていったのです。かつて「黒いダイヤ」と呼ばれた石炭は、その歴史的役割を終えようとしていました。
福島県いわき市にあった常磐炭坑も、例外ではありませんでした。産業と社会を支えるエネルギー源は、石炭から石油へと交代していきます。炭坑は人員削減の連続。その先には閉山が待っていました。当時、人員削減のことを「合理化」と言っていました。今は「リストラ」。いずれにせよ、おかしな言葉ですよね。
そこで会社は、街にレジャー施設「常磐ハワイアンセンター」をつくる計画を立て、東京からダンサーを招きます。社会を支えてきた誇りと将来への不安との板ばさみになって、人々の心は揺れます。
街のため、そして自分自身の未来を切り拓くために、フラダンスに挑戦する娘たちの姿を、映画は生き生きと描いていきます。好奇の目で見られながら練習する娘たちも、それに反対する母親も、そして東京から教えにやってきたダンサーも、それぞれ社会の中で居場所が見つからず、生き方に悩んでいるのです。この一点で、「フラガール」は見事に「今」につながり、40年という歳月を超えた、世代と世代、時代と時代をつなぐ物語になりました。
「お母さんのような人生は嫌だ!」と言い放つ娘の気持ちも、そう言われて激怒し「出ていけ!」と怒鳴る母親の気持ちも、わかるような気がします。そんな母親が娘の生き方を理解し、自分もまた新しい時代の中に歩み出ようとする姿は胸に迫ります。
「フラガール」は、次代を切り拓こうとする女たちの、夢と意志と希望の物語。先端文化や恋愛を散りばめなくても、こんなに面白い映画ができるということを証明してみせたという意味で、近来の大収穫です。
それと・・・監督が在日コリアン三世だったことも、この映画が成功した要因の一つだったのではないでしょうか。三十歳過ぎの普通の日本人に、戦後が描けるとは思えません。高度成長を経た日本の家庭で、過去は忘れ去るものでしかありませんでしたから。
女優たちも、方言と汗と炭にまみれて大熱演。蒼井優もかわいいけれど、松雪泰子も「地」が出ていて面白いです。しかし何と言っても、最後に理解を示す母親役の富司純子が素晴らしい。
寺島しのぶの母親でもある彼女、実は独身時代、東映の人気任侠シリーズ「緋牡丹博徒」で、絶大な人気を誇った女優でした。次々に飛ぶ出す歯切れのいいセリフに、久々に「緋牡丹のお竜さん」の胸のすくようなタンカを思い出して痛快でした。「お竜」さんに熱狂した男性たちにも観てもらいたいです。
釜山国際映画祭オープニング作品 アカデミー外国語映画賞日本代表作品 制作:シネカノン 監督:李相日(リ・サンイル) 2006年
福島県いわき市にあった常磐炭坑も、例外ではありませんでした。産業と社会を支えるエネルギー源は、石炭から石油へと交代していきます。炭坑は人員削減の連続。その先には閉山が待っていました。当時、人員削減のことを「合理化」と言っていました。今は「リストラ」。いずれにせよ、おかしな言葉ですよね。
そこで会社は、街にレジャー施設「常磐ハワイアンセンター」をつくる計画を立て、東京からダンサーを招きます。社会を支えてきた誇りと将来への不安との板ばさみになって、人々の心は揺れます。
街のため、そして自分自身の未来を切り拓くために、フラダンスに挑戦する娘たちの姿を、映画は生き生きと描いていきます。好奇の目で見られながら練習する娘たちも、それに反対する母親も、そして東京から教えにやってきたダンサーも、それぞれ社会の中で居場所が見つからず、生き方に悩んでいるのです。この一点で、「フラガール」は見事に「今」につながり、40年という歳月を超えた、世代と世代、時代と時代をつなぐ物語になりました。
「お母さんのような人生は嫌だ!」と言い放つ娘の気持ちも、そう言われて激怒し「出ていけ!」と怒鳴る母親の気持ちも、わかるような気がします。そんな母親が娘の生き方を理解し、自分もまた新しい時代の中に歩み出ようとする姿は胸に迫ります。
「フラガール」は、次代を切り拓こうとする女たちの、夢と意志と希望の物語。先端文化や恋愛を散りばめなくても、こんなに面白い映画ができるということを証明してみせたという意味で、近来の大収穫です。
それと・・・監督が在日コリアン三世だったことも、この映画が成功した要因の一つだったのではないでしょうか。三十歳過ぎの普通の日本人に、戦後が描けるとは思えません。高度成長を経た日本の家庭で、過去は忘れ去るものでしかありませんでしたから。
女優たちも、方言と汗と炭にまみれて大熱演。蒼井優もかわいいけれど、松雪泰子も「地」が出ていて面白いです。しかし何と言っても、最後に理解を示す母親役の富司純子が素晴らしい。
寺島しのぶの母親でもある彼女、実は独身時代、東映の人気任侠シリーズ「緋牡丹博徒」で、絶大な人気を誇った女優でした。次々に飛ぶ出す歯切れのいいセリフに、久々に「緋牡丹のお竜さん」の胸のすくようなタンカを思い出して痛快でした。「お竜」さんに熱狂した男性たちにも観てもらいたいです。
釜山国際映画祭オープニング作品 アカデミー外国語映画賞日本代表作品 制作:シネカノン 監督:李相日(リ・サンイル) 2006年

